3.20.1999
火打山から澄川くだり
火打山から澄川下り
1999-3-20.21
澄川くだり
member 渡辺賢二、汽車 3-20 モルゲダール風見鶏で朝飯をいただき杉の原スキー場の駐車場へ。 杉野沢第三高速リフト1000始発にのり1030三田原山目指してあるきだす。ナベちゃんの旧知の山スキ ーヤー7人組とほかに数人が三々五々登りだす。 高曇りの寒い日。前日の大雨が全山を氷化させている。そのバーンの上に新しい雪が吹きだまったり している。スキーでジグザグにがんばる人が多いが、アイゼンを使っていっきに三田原山へ。 北風の強風に向かって稜線をトラバース。三田原頂上から左手の森のなかへ滑り込む。そこそこのパ ウダーがあった。下りすぎないうちに右に大きくトラバースして黒沢池へ。高谷池に向かってもう一 度登り1500ヒュッテ着。この日の冬季小屋利用者は15人くらい。快適な一夜をすごす。 3-21 天気予報によると夕方から明日にかけて、日本海を大きな低気圧が通過するとかで山は大荒れにあれ るとのこと。2泊の予定ではあったが、長居無用と澄川を抜けて下山するプランにきめて、800に火打 山へと向かう。途中でまたアイゼンにはきかえ稜線に達する。昨日と風向きは大きくかわり、きょう は南風の強風。 コルからいっきに澄川へと滑り込む。 昨年もヒュッテで合って、笹倉温泉へ下ったゼフィルスのなんとかさんが火打の頂上から澄川は急斜 面を降りようとしているのがみえる。山スキーの中年7人組みもわれわれのあとから滑りこんできた 。 前々日の雨で氷化したのはこの山域すべてだったらしい。その雨で起きたブロック雪崩がいたるとこ ろで凄まじい状態をみせている。恐る恐る様子をみながら、しかも猛スピードで下る。 なんとかさんのトレイルが先行しているのでそれに従ってどんどん下る。発電所の手前500メート ルくらいのところで右手の尾根状台地に登り返し、急な斜面を発電所へと滑り込む。 つり橋をおっかなびっくり渡り、再びシールをつけて向かいの尾根につけられた林道に登りかえし、 そのあとシールをはがして長い長い林道滑り。中郷村着1430分。山はかすみ雨が振り出していた。風 はおさまる気配なし。タクシーで杉野原に戻り車をピックアップ、かんぽの湯にはいりモルゲダール にちょっと顔をだして、(西原笠原コンビがいた)帰京。 中央道は雪のため渋滞で夜中過ぎに帰宅。
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3.17.1999
群馬嵩山のロッククライミング
群馬嵩山のロッククライミング
すっきりしていて眺めもよい
男岩
群馬嵩山の岩のぼり CLIMBING IN TAKEYAMA , GUNMA メンバー ちゅう、ひかり、汽車 1999ー3ー17 JMCCによって新しく開かれた,中之条町の嵩山へ出かけた。 600に城南をでて、渋川経由 中之条のそば打ち体験館の駐車場に93 0着。 天気はよい。男岩と女岩が頭上にそびえている。ハイキング道を15分ほ ど登り踏みあとをたどって女岩へ。いくつものルートを眺めながら、男岩 へ下る。男岩 のほうが午前中は日当たりがよいようだ。明るくてすっきりした岩場だ。 シーズン始めとあって,調子がわからない。 まず5。9の原田ルートを順番にのぼる。 そのころになって、ようやく開拓3人男が出現する。「朝飯食いにいってた んだよ」宮崎、ジャック、北山がこのあたりを拓き、いまも新しいルートを 精力的につくっている。光はジャックの誘われ、ぼくは宮崎さんに来るよう に命令されていたので、ちゅうさんを誘って3人でのこのこと出かけてきた というわけだ。 アドバイスをうけながら、つぎは5。10Bの岡村ルートにとりつく。核心 で3人とも右往左往する。足をあげてからよく探せば右手でプルするよいホ ールドがあるのだ。光もちゅうもオンサイトする。ぼくは実は何度も登って いるのでいろいろと知っているのである。 開拓グループはルートの整備に余念がない。ハンマーやバールで不安定な岩 をばらばらと落としている。いずれも高難度のルート。 次の課題は5。11Cの右ジェードル,の下半分。核心は上半のハングだか ら、下半は10C。凹角のテクニカルなルートだ。ぼくは数回トライしてい るがいつも苦手に感じるルート。 光があっさりと登り、ちゅうさんもうまく登った。ぼくもなんとか登る。右 フェースにボルトがあるが,基本的にはクラックを詰めていくのがよい。手 がかりがなくなったと思ったときに右のフェースとカンテを利用するとよい のだ、ということがわかった。3月なのに,日当たりがよいのであたたかい。 春秋が快適シーズンなのではないだろうか。 開拓グループの働きを横目に,つぎは真理支天10a,既成ルートのボルトを 利用しながら左上していくという長いルート。光がリードする。「最後のボ ルトの前後がけっこうこわい」という。僕がフォローするが、10aとはおも えないこわいルートだった。ジャックいわく「ヨセミテのナインルートの趣が ある」 終了点でトップロープをつくり下降。 つぎは左凹角、5。11C。グレードにおそれをなしてトップロープで登る。 ひかりは僕のアドバイスに従い核心部を右カンテにでてを登る。これならリー ドのオーケーとのことなので、光さん、リードで再挑戦。これもきれいに登っ て11c登ったよと鼻が高くなったところで、ジャックが核心を右に逃げると 10dだよ、と聞かされがっくり。 ジャックが「日本を代表するルート」にとりついているのを,ロープにぶらさ がった北山さんが写真をとっている。 光が「日本を代表するルート、5。12」をトップロープでトライして、腕が あがったところでもう4時くらいか。 そろそろ帰ろうか、というわれわれのムードを後目に,開拓男達は,まだまだ 仕事があるらしい。昨日から2日連続の重労働を彼らは喜喜としておこなって いるのだ。 登らせてもらって申し訳なし、と思いつつも、風呂でまっているよ、と,最近 つけれれた直線ルートを駐車場までくだる。 岩櫃城温泉でゆっくりして,ビールをのみながら開拓男達を待つが,あらわれ ず。じゃ,お約束の焼き肉でもと,すぐ近くの青空焼肉店で安上がりな焼き肉 をたらふく食べ、帰京。 車の後ろで寝ていたら「着いたよ」の声。どこに?と外をみたら自宅の真ん前 であった。 1999年4月17日 メンバー CHU KISYA JMCCメンバー お約束の朝6時東京出。930にそば打ち体験館前着。 北山開拓王、小林だんなと由佳ちゃんがいた。直登ルートで男岩のしたまで約10 分。きれいに道ができている。女岩にトラバースすると、そこから上部にむかって 見事な階段ができている。すばらしい土木作業だ。開拓者たちには頭がさがります。 女岩下部の2段ハングにとらい。ちゅうさんがオンサイトする。10Cなのだが、ぼく はうまく登れなかった。秋にオンサイトしたはずのルートなのにケチがついてしま った。 小林だんながお勧めする真秀ルート、10bの卒業記念にトライしてはまる。けっこう 難しい。小林さんの懇切ていねいな指導でなんとか抜けるが、きょうはさんざんで はある。ちゅうさんは先程の2段ハングで背筋をのばしたとかでやはり不調。 昨秋ぼくがオンサイトした寿10bにちゅうさんがトライ。核心のトラバースはあっさり 抜けたものの、そのうえの凹角で落ちる。なんとか抜けて、僕が再度トライしたが、 やはりその凹角で得意のアルパインクリップがはいる。ふたたび昨秋のオンサイトに ケチがついたというわけだ。 文ちゃんなどもあらわれ子供もたくさんあつまって現場は賑やかになる。今夜は創立 祭第2部なのである。 本命のプロジェクト中のノーズ11b?にトップロープをかけて二人で試登する。さすがに 厳しいが、いずれなんとかなるさ、とのちゅうさんの感想にふむふむとうなずいて、夕 暮れの岩びつ城温泉へむかう。日帰りだから今日の宴会にはでられないのが残念。 小林さんは、卒業記念を登ってみて、やはり10cはあるかな、とグレード改定のコメント を発する。青空で冷麺をたべて帰京。ああくたびれた。
1.26.1999
八ガ岳赤岳主稜
八ガ岳赤岳主稜

寒かった、ぼろぼろの岩だけど面白い
AKADAKE
1999-1-26-27 メンバー せいすけ,CHU,KAWASAKI,汽車 2-25 小渊沢の駅でせいすけと待ち合わせ駅前でいっぱいやってから、美濃戸口の赤 岳山荘に入る。素泊まり1500円であたたかい大部屋を独占。 2-26 500円の朝定食がまた素晴らしい。ちゅうさんが合流して美濃戸へ車であが る。前日降雪があったのできれいな道だ。行者小屋まで2時間、10時。気温は マイナス10度と小屋前の温度計が告げている。天気予報では快晴のはずだが、 山がガスにつつまれている。ガスの流れもはやい。ときどきのぞく赤岳や阿弥陀 岳は迫力がある。1時間くらい様子をみていたがあまり回復の兆しはない。 取り付きをみてこようと文三郎道を登る。赤岳の主稜にとりつくのは赤岳沢か らというのが昔からの方法らしいが、最近はてっとりばやく核心に近付けるとい うことで文三郎からトラバースするのがよいと、岳人誌に書かれていた由。 見当をつけてからとぼとぼと赤岳鉱泉に入る。夕方になってガスが切れ見事は 夕景色となった。大同心や小同心がすばらしい。あしたは大丈夫だ。マンガをよ んだり食後は小屋のひとたちと呑んだりしてすごす。 2-27 快晴。8時まえに小屋をでる。行者小屋前でアイゼンなどつける。温度計はマ イナス16度をさしている。上はもっと寒いだろう。 1時間ほど登って取り付きにトラバースする。ロープをだし、2チームで登るこ とにする。手も足もかじかんでしまう寒さだ。不思議なもので登り出して身体が 活動しだすと、寒さも飛んでいく。とはいえ吹きさらしのビレイは身にしみる。 1ピッチ目は3級くらいの岩登り。2ピッチ目はゆるいリッジをコンテで行き、 3ピッチ目は3、4級の岩登り。せいすけはカメラ撮影に熱心でリードはもっぱ らぼく。川崎、ちゅうコンビもちゅうさんがリードマンに徹している。 この頃になると日陰とはいえ気温があがってきてそのうち日もさしてくる。阿弥 陀岳が見事だ。4ピッチ目もコンテでぬけると、傾斜がおちて、阿弥陀岳よりも 高い地点にいることに気がつく。しばらく登ると頂上へ続くがら場となり頂上に 飛び出した。 12時くらい。地蔵尾根経由で美濃戸までスピード下山。3時着。 主稜は、八ヶ岳の主峰赤岳に至る結構なルートではある。岩登り自体は難しい ものではないが、アイゼンをはいて、ピッケルをもってルートファインディング しながら安全確実にここをトレールするのはそれなりの総合力がいるだろう。あ の寒さにも耐えなければ。下界では3月のぽかぽか陽気だったというがそれでも あの寒さだから、悪天の日には近付かないほうが身のためだろう。 茅野におり風呂経由焼肉を食べて帰京。
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12.27.1998
秋田駒ガ岳,森吉山
秋田駒ガ岳,森吉山

ガスの中、だれにも会わなかった
moriyosi peak
1998-12-27,1-2 メンバー omata,harumi,kawasaki、yumi,ひろゆき、汽車、せいじゅうろう、mika, 五味、なべ 12-28 水沢温泉で朝飯を作り、おいしくいただいて、田沢湖スキー場の駒ヶ岳第3リフトに 乗る。910に歩き出す。30分ほどでスキーからアイゼンにかえ1時間ちょとで男 岳頂上。 ガスで視界悪し。地図をたよりに、夏道どおり横岳とのコルへ。道標をみつけ、阿弥 陀池小屋へ。シュカブラで小屋は真っ白.ケーキの家のよう. 休憩後、女目岳へ.頂上から快適な滑降を楽しんで、八合目小屋経由帰還.乳頭山と、 そこへの道のりが見えた.春にいくのがよいかもしれない.林道をくだり、田沢湖高 原スキー場経由300帰着。 12月29日 くもり。あたたかい。山には雪雲が。ゲレンデで遊ぶ半日。夜、せいじゅろう、mika、 ハネダ夫妻入荘。 12月30日 大白森をめざす。鶴の湯から往復のつもり。雪。雪深く薮濃く小白森下でもどる。ラッセ ルと新雪滑走をたのしむ。鶴の湯の露天風呂がよかった。五味、なべ入荘。 12月31日 連日、晴れ間なく、雪が舞う。今日もしかり。午前中、田沢湖スキー場でパウダースキー。 午後、阿仁町へ移動。雪深い打当温泉に入る。 1月1日 森吉山をめざすも、阿仁スキー場ゴンドラ上部駅で吹雪のため出発断念。リフトパウダーを 楽しむ。 1月2日 網張温泉スキー場経由で帰京。渋滞対策効あり、翌朝100帰宅。 連日、雪国の空模様。秋田駒の1日が印象的だった。森吉山はこの時期、好天を望むのは難しい ようだ。来年3度目のトライをこころみよう。
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11.28.1998
伊豆城山ワイルドボアゴルジュ2回
伊豆城山ワイルドボアゴルジュのクライミング
みんな黙々と登っていた
1998-11-28.29 メンバー 宮崎、汽車
11-28 9時には城山上の駐車場についた。国分さんグループなどがいる。 ワイルドボアゴージュ左の壁にとりつく。10Cのカルカッタにトライ。最終 の核心でおちる。 宮崎氏のアドバイスどおりやってなんとか登る。トップロープ状態でもうい ちど。
宮崎氏がジャンバラヤをのぼりトップロープセット。ジャンバラヤ11c/ dとジゴロ11b/cを2回づつ登ったら、腕もはって日が傾いてきた。 クーリングダウンにミッドウエイ壁の10Cの後半(地球の登り方)とりつくが、腕があ がっていて核心で数度飛び敗退。すごすごと戻る。 夜はメジナの刺身など食す。国分テントで議論噴出。
11-29 昨日の穏やかな天気にくらべ、風がつよく寒い。きのうがよすぎたのか。 チュウブロックにむかい、ストーンフリー10Cから始めるが初見では無理 無理。やっと抜けて、トップロープで復習。
ワイルドボアゴルジュにもどり、昨日のカルカッタをおさらい。レッドポイン トできた。ロープをまわしてジャンバラヤとカサブランカにトップロープして 登る。砂庭氏きたりてともに登る。クーリングダウンにクロスロード10aを 登りおひらき。
日曜日のせいかクライマー多し。みんな上手だ。黙々と登る姿 はまるで修行僧のよう。にぎやかなアメリカ人グループが浮いていた。国民性 というやつか。砂庭邸で入浴食事。帰京。 1998ー12ー6 今週もみんな黙々と登っていた。 MEMBER CHU KISYA KAITAKUOU 前夜に国分氏主宰の大パーティが駐車場で開かれるとのことだったが大雨で でおくれ、朝いちで現地到着。朝8時すぎだったが、すでに朝の宴会がはじまって いた。雨のなか30人ほどが結集したとか。
ビールをいただいて、天気が回復しそうなのでワイルドボアゴルジュへと下る。 先週のおさらいをと、ストンフリー10C、カルカッタ10Cと登る。さしたる進歩はなし。 北山開拓王がひらいた、二間バンドのルーフルートを初登りするというのでビレイするが テンションがはいる。張り出し5メートルのルーフだ。
先週とおなじような顔ぶれが黙々とのぼっている。ここは道場か。 ミッドウエイウオールにくだり、先週敗退した、地球の登り方10Cをレッドポイント、2 ピッチ目をちゅうさんがリードする。見た目より、むずかしい。
ライオンボトムにくだり、北山王がモンビラージュ11Cにトライ。オンサイトはならず。 釣瓶落ちの夕日にせかされるように片づけ。どさんこで魚などたべ、長岡温泉あやめ湯で さっぱりして帰京。
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11.21.1998
北アルプス立山の初滑り
FIRST SKIING IN TATEYAMA NORTHEN ALPS
北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ


雷鳥沢を滑る
11月、やっぱり立山はパフパフだった! 1995年11月25日 skiing at 97-11-24 暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年 もそこはパウダー天国だった。 勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く 2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断 念したに違いない。 ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立 山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜 30センチ降ったヨ」 「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ ロしていてパウダースキーどころの話ではない。 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、 クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、 ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。 翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか 、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に 、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で はある。 その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明 になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。 やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって! 1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室 堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。 (KIM同人/I) 1997年11月22ー24日 メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車 22日 朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。 雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3 時間の行程。 23日 朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向 かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。 24日 大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣 御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。 快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。 新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足 にフィットして快適だ。 称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。 杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや かな立山の初滑りだった。 1998年11月21-23日 メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ ブなど 21日 朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。 先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の 不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。 22日 案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。 9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ ぐ。 23日 吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道 を帰京。9時都内。 1999年11月21/23 21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた 、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷 鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶 好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、 水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田 さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、 けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。 22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小 屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定 した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに 撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み も揃って行動、早い。 23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途 中食事、6時半帰宅 1999年11月29/30日 メンバー 松倉、川崎、汽車 月・火と立山へテレマークに行って来た。 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100 m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂 山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思 う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと 下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと 移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。 川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、 斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元 へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助 かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫 だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。 しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂 ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ らに下っていく。 「逆に進んでいませんか?」 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに ポールが見える」と言う。 「さすが伊藤さん」 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆 われた柱があった。 「室堂山荘のアンテナに間違いない」 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再 び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。 「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」 川崎さんが脅かすように笑う。 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、 二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上 に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警 備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初 の雪中行だった。 松倉一夫/Kazuo Matsukura
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