8.26.2022

田代山 南会津

田中澄江さんの花の百名山だった

2022年8月22〜24日

member matukura haneda itokisya 

田代山山頂湿原

ほんとうにプリンのかたちしてる


近くの前澤集落 ポスターから


8月23日 火曜日

前日午後にマツクラ車で那須ハネダ亭へ。ベランダでBBQしながら山のプランを相談しました。

燧、会津駒などの案もありましたが気分と天気を考えて田代山と決めました。


朝6時に出て、山王峠、中山峠をこえて湯の花温泉。18kmもあるというダート林道を四輪駆動のハネダ車で快走して田代山登山口(猿倉)についたのが8時ころ。2台車がありました。天気はまずまずですがやや蒸し暑いような朝。


よく整備された登山道をのんびり行きます。広葉樹の森の中、はじめから急な山道がえんえんと続きます。日が射すとあつい。森の中はオオカメノキやゴゼンタチバナ、ドウダンなど。1時間半ほどで小田代にでてあたりが開けます。


さらに2,3段の急坂がつづき、30分ほどでいきなり山頂湿原にでました。登山口からの標高差は600mくらいでしょうか。1900m越えている天空の庭園です。広いのですが夏枯れの景色でキンコウカやえぞリンドウなどが目立ちます。低木のツガやモミもあります。ハイマツもあるようです。ガスがでていて肌さむいほど。遠景はみえませんがのんびり歩いているうちに青空がのぞきはじめました。





ファミリハイカーがひとくみ、あとは帝釈山へ向かうソロの人もいるようです。

湿原には細い木道がしかれた周遊路があって、左まわりで歩くのがルールのよう。尾瀬や会津駒にくらべれば格段に静かです。田代山はプリンのような形をした山で周囲は絶壁、山頂部が広い湿原というめずらしい山容だとしりました。古いカルデラが長年の積雪で湿原に変わったのでしょうか。


以前いちど登っているはずですがその山行の印象はうすれているようです。古い記憶はどんどん消えていくものだなと思いました。1時間ちかくのんびりしてから下山しました。車にもどったのが1時過ぎ。5時間ほどのハイキングでした。


木賊温泉へよって川ぷっちの岩湯に入ってみました。秘湯感があります。


小さな峠をこえて湯の花温泉に下り、ふじやにイン。曲がり屋の造りで民宿らしい宿でした。この村にも温泉が数か所あり宿の敷地内にある弘法湯に入ってみました。

檜枝岐や小豆温泉などよりもひなびていていいかんじだと思いました。


今はソバの花がいっせいに咲くあかるい季節ですが冬はどんなかな。

湯の花、木賊、檜枝岐、南郷、舘岩、伊南、、。江戸や明治の時代、この多雪地帯でどんなふうに冬にそなえ、雪ごもりをしていたのか、想像がふくらむところです。十分な食料や燃料もあって、温泉まであって、曲がり屋のいろりばた、そこは天国だったのかもしれません。

宿のおばさんあれこれお話してくれました。ところでこの家には100歳超えるおばあさんがいて元気にしていました。


上 木賊温泉岩風呂 下 田代山のパイオニア ふじや


翌日は共同湯で朝風呂、とりたて野菜の朝食をいただいたあとおわかれ。帰り道は、曲がり屋集落の前澤によりました。

たかつえスキー場あたりのソバ畑が撮影ポイントと聞いて寄ってみました。初めてみる広くてきれいな風景でした。舘岩川の谷をはさんで田代山や日光、尾瀬、会津駒などが見えるはずですが夏雲が湧いていてはっきりしませんでした。


那須ケ原のさくらラーメンで道草してからハネダさんとわかれ、まっちゃんの高級車で東北道にはいりました。

下に舘岩の観光情報。田代山のなりたちや開山のはなしなどがのっている。ふじやの大山爺さんが開拓者だとおばさんも言っていました。

http://tateiwa-tic.jp/tashiro/%E7%94%B0%E4%BB%A3%E5%B1%B1%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%A1/





上記2点ネットから拝借。どちらもたかつえスキー場トップから。ここは七ヶ岳の登山口




8.12.2022

甲斐犬太郎RIP

長生き太郎、眠るようにいった。甲斐犬すごい
太郎 2017年富士山村山古道 

●2022年8月11日 甲斐犬太郎どこかへワープ 

 朝6時前に太郎を庭先にねかせてブラシをかけた。カラダが伸び切っていて意識なし。タバコを吸ってながめていたら、このところ続いていたピクピク(痙攣)がはたと止まって、しばらくすると呼吸がなくなったようだった。

昨日あたりからぐったりしてて、寝ているというよりもほとんど意識がなかった。痛くも苦しくもなさそうだったが、いよいよ今日明日の命だなと思っていたので驚くことはなかった。 

軽くなったカラダを業者に渡したら昼には骨になって帰ってきた。庭の隅にかけらでもうめておこうかと思う。
17年近くいい相棒だったな、太郎。 

 甲斐犬の太郎、2005年9月22日相模原愛川の甲斐犬舎の生まれ。三つ子の兄弟。
友人高城さんがそのうち一匹をひきとり陸と名付けた。もう一匹いるよ、と紹介されてもらってきたのが太郎。3ヶ月の子犬だった。柴犬クロが14歳でなくなったあとだったのでちょうどいいかな、というなりゆきだった。 

 柴犬よりもひとまわり大きく犬種もわりあいレアなのでどうかなという気分もあったのだけれど杞憂でした。 陸と太郎は双生児のように顔かたちがそっくり、なのが笑えた。

 太郎とは山へよく登った。雪山や山スキーにも行った。残雪の富士山頂にも2回登っている。日本百名山には15山くらい登っているはず。いい山の連れだった。パラグライダーの日はけっこう人気ものだったかな。山中湖の山小屋あたりではわがもの顔に歩きまわっていたな。

あれほど野山を駆けずり回ったのに怪我もなく事故もなかったのは幸運児だったんだろう。
2012年朝霧高原中島牧場
●太郎の老衰の経過。 

 この数ヶ月犬が老衰するのをじっくり観察できた。15kgの体重が最後は10kgまでになっていたと思う。 
兄弟の陸は去年の今頃ワープした。15歳、16歳まで元気に生きられるのだから甲斐犬は優秀な犬種だと思います。 

犬の一生は人間の5倍か6倍のスピードで終わるらしい。人は太郎の数倍の時間をかけておなじように老衰していくのかな、とじっくり勉強できた思いです。 

いやはや、これからは犬のいない人生か、というのがいまの思うところかな。
2021年10月清里高原で 。年とった
経過 

2022年3月ころ 太郎16歳半 後ろ足が衰えて歩くのが遅くなり坂道など大変そうになった。朝晩の散歩コースを2kmから1kmほどに短くする。 

6月ころ 太郎16歳9ヶ月 よろよろするのが目立つので散歩コースをさらに短縮。そのうち家の前をいったりきたりがせいいっぱいになる。 

7 月下旬になると 食欲が落ち、歩行困難。そのうち寝たきりになる。たまに発作けいれんあり。くすり。 

8月。一週間前には、寝たきり。食事取れない。ほとんどすやすや寝ている。たまに発作痙攣あり。くすり。 

4日前からはスポイトで砂糖水を補給。
1日前 ほとんど意識不明。水もごくんできない。 

8月11日朝 呼吸止まる。
心臓がとくに強かったのか、わずかな砂糖水だけで4〜5日延命したような気がする。 

RIP.

 ●いくつもある太郎のyoutube動画
 お気に入り2本 2歳のころ山小屋で、もうひとつ6歳ころ霧ヶ峰





●太郎春秋  
太郎の若い時のブログ1 2005〜2012

  若い時のブログ2 20012〜2015






●furoku

・太郎が登った百名山 全部日帰り

富士山頂 6月に2回
八ヶ岳赤岳ほか
霧ヶ峰何度かいった
空木岳
丹沢 ヒルケ岳大山ほかあちこち
金峰山帰りまっくら
雲取山三条の湯経由帰りまっくら
甲武信岳?調査中
大菩薩峠
皇海山
浅間山(黒斑山)小浅間も
那須三本槍
東吾妻山鎌池
赤城山地蔵岳
天城山 万三郎周回

●太郎の晩年のトリップの記録
 クルマにのって出かけるのが好き 

2019年
11月 小浅間山から草津 元気
 鐘ヶ嶽(丹沢)後ろ足異変
 松茸山(丹沢)元気
 (スキートリップなど略)
2020年
 (スキートリップなど略)
3月 梅の木尾根(丹沢)元気
  烏場山・鴨川(房総)元気
4月 ミツバ岳(丹沢)元気
  黍殻山(丹沢)元気
6月 三つ石真鶴(湯河原)夏バテ
8月 鉄砲の木頭山・箱根 夏バテ
9月 富士山須山登山道 元気
10月 赤城地蔵岳・谷川岳  まずまず
12月 荒崎・観音崎(三浦)散歩

2021年
1月 ふじてんスキー 散歩
3月 ふじてんスキー 散歩
6月 箱根外輪山 観光
5月 那須中大倉尾根・足尾銅山 散歩
   弘法山(丹沢)箱根 まずまず
8月 神津牧場・白樺湖 散歩
10月 清里・軽井沢・長瀞 散歩

2022年 
2月 御宿・九十九里(房総)散歩 最後のお出かけ
8月 ワープ

6.01.2022

北田さんの海外スキー旅

●北田さん追悼2 伊藤文博

Tajニュース(日本テレマークスキー協会報)の依頼で以下書きました。2022年3月。公開6月1日。北田さんのビジネストリップ以外の私の知るかぎりの海外スキー旅です。テレマーク時代の旅にはどれも一緒に行きました。以下本文。

北田さんの海外スキー旅

盛岡生まれを誇りにしていた北田さんですが育ったのは浦和です。山へは兄紘一さんと中学生から、スキーは18歳からといいますからやや遅咲きかもしれません。

その後、北田兄弟のモーレツな雪山修行があったようです。国内の雪山を総なめ?にしたかのような北田さんですが、ここでは海外の山行のこと。


1979年に高田光政氏らとアルプスオートルート(スイス側)、82年にはフランスルートを走破しています。間の80年には、なんとマッキンリーを滑っています。成蹊大チーム(磯野剛太隊長)でメンバー全員登頂、そして全員滑降という輝いている記録です。このころイケイケの北田さんですがカリブークラブを結成したのもこの時期。北田さんらしく、やたらに緩いしばりの集まりです。以上はアルペンスキー(山スキー)での記録です。


82年に突然テレマークに開眼します。以降アルペンスキーにもどることはありませんでした。しばらくTAJの活動で忙しかったのですが、90年代からは本場アメリカでのテレマーク修行にでかけます。


92年4月ユタ州ワサッチ山脈。93〜95年、3年連続でコロラドロッキーの探索、テンスマウンテンルート完走。

97年4月にはカリフォルニア州のシエラネバダ山脈へ。翌年にそなえてソリとテント泊のツアーでした。

98年4月、念願のシエラハイルート完走。日本人初記録。

2000年3月ワイオミング州グランドティトンツアー。


以上、すべてメンバーはカリブークラブとその仲間、全員テレマークで参加しています。企画はすべて北田さん。よい頭脳があってこその成果といえるでしょう。

とくに98年のツアーは避難小屋もエスケープルートもないシエラの高山を5日間で抜けるというスピード山行でした。

99年の「rock & snow」春号のレポートで北田さんはこう結んでいます。

「シエラハイルート。シエラバックカントリーの最終目標といわれるコースを、天候に恵まれ、僕たちはまんまと成功した!」

テレマークの貴公子、北田さんの品のいい笑顔がうかんでくるようです。

伊藤文博

追加1

スキーや山を大いに語った北田さんですがそれ以外のことについては静かな人でした。あまりよそから見えない好き嫌いがあって、食事やクルマ、そしてふだんの振る舞い、すべてにこだわりのある人のようでした。どれもが上品志向です。読書家であったことは彼の文章をみれば自明ですね。静かなインテリ。そんなあんなが人をひきつけたのでしょう。


追加2

あるとき山でサングラスをいただきました。スミスの替えレンズ付きのもので今も愛用しています。「マトリックス」ぽいデザインで「オレには似合わないから」と言っていましたが、人にやたらモノをあげていたら成り立たない商売をしていたはずなので感謝しております。ありがとう北田さん!

伊藤文博

Tajニュース2022年春号掲載。追加分は編集からの求めで補いました。

https://www.ski-taj.org/news/data/TAJnews2022.pdf

ニュース2022年春号は以下でみられます。

日本テレマークスキー協会

https://www.ski-taj.org/



 

5.18.2022

松山、今治再訪、来島海峡大島

四国の山旅4

メンバー 伊藤文博 記

5月11−13日 木金土曜日





5月11日 木曜日

道の駅みまをのんびりでて西予市へ。海岸線を走り小さな漁港などを撮影して須崎海岸を訪ねます。岬の観音様と展望が名物とのことですが、海岸に下る道は立入禁止になっていました。

大洲はバイパスして松山市内に入ります。城下県庁近くに坂の上の雲博物館があって寄ってみました。司馬遼太郎先生は四国につよい人でした。

安藤某氏設計のモダンな建物で、そういえば秋山兄弟も正岡子規も松山の人ですから県民の自慢博物館のようになっていました。とはいえ横須賀の戦艦三笠の迫力には及ばないかもしれません。

道後温泉は2度めでした。人数規制があったようですがすぐに入れました。建物全体が工事テントで覆われていて大修理が行われているようでした。

松山から海岸線を走り道の駅風早の郷ふわりにイン。ここは以前車泊したはずなのに記憶がうすいです。

須崎岬の手前の漁港

松山市内にはいります



坂の上の雲博物館のとなりのフランス風館萬翠荘


5月12日 金曜日

今治へ移動。

来島海峡を見下ろせるはずの大角海浜公園展望台まで行ってみましたが霧でなにもみえませんでした。


波止浜港桟橋でひとやすみ。一帯は造船ドックが集中するところで向かいに今治造船があって大きなコンテナ船を修理中のようです。ほかに檜垣造船というのもあって有名らしい。来島へわたるはしけ船もいました。


しまなみ海道の来島第一大橋が目前に見えるという来島海峡展望館にも行ってみました、橋を渡る車の音が聞こえるだけ、霧でなにも見えませんでした。


来島第一大橋をわたり大島に移動しました。しまなみ海道を俯瞰できる名所亀老山展望公園がありますが、この霧ではとあきらめて島の北側の村上海賊博物館を訪ねました。

海賊の本拠地だったという能島が目前で城跡も見えるようです。


再び今治市内にもどり今治城外観を撮影、天守のほか櫓や白壁があって写真写りのいい海城です。町外れにあるスーパー銭湯に寄りました。

高速道路に入り小松のハイウエイオアシス(石鎚道の駅と同じ。モンベルが入っている)で休憩。

村上海賊館から正面に能島

今治造船所。小舟は来島行乗り合い


翌朝、中山川渓谷など訪ねてから松山空港へ。走行距離は900kmほどでガソリンは50リッターも使わなかったようです。


帰り便はAirbusでした。松山を定時に出たのですが低空飛行で紀伊半島の南にでて伊豆半島をおおまわり(紀伊半島南での機長アナウンスで高度6000mとか)、房総半島に入りました。羽田の滑走路がすぐそこに見えるのですが、あんまり早く着くのはまずいのか埼玉県まで北上して東京都外周を反時計まわり、ようやく羽田におりました。けっきょく定刻に着きました。想像ですが時間調整なのかな。

四万十川のカヌー4km下り

四国の山旅3

メンバー 伊藤文博 記

5月11日 水曜日




9時にカヌー館に集合、といってもほかにカップル二人だけ。ガイドは田辺館長でした。

小雨がぱらつく天気ですがカヌー下りには問題ありません。

午前コースで、ひととおりのカヌー操作の練習のあと川を4kmくだりました。

小さな瀬もいくつかあってけっこうヒヤヒヤしました。

いままでカヌーやサップでも瀬を下ることはなかったので面白かったです。

ベテランガイドの案内で四万十川を楽しめました。

昼前に終了点に無事着岸して、バスでカヌー館にもどりました。



カヌー館

四万十の江川崎

川下りおもしろい


のんびりできます

                             

午後は宇和島方面へ移動しました。松丸駅とポッポ温泉は前回訪ねていましたが再訪しました。

伊達家宇和島城は初めてでした。天守閣に登りました。天守以外は石垣と郭のみで、被写体としてはさみしい。

港のきさいや市場で買い物してから道の駅みまに移動。畦地梅太郎と井関農機創業者の記念館が併設されていました。この村の出身だそうです。

宇和島城

右が維新のときの殿様。賢侯伊達なんとか、左が長生きした先代



足摺岬から篠山へ

四国の山旅2

メンバー 伊藤文博 記




5月10日 火曜日

土佐清水めじかの里道駅から足摺岬へは小一時間。四国最南端の景色と金剛福寺など見ました。

いったん四万十市にもどり、宿毛市に移動、坂本ダムの先から、これまたくねくねの林道を登って篠山登山口にに到着です。

広い駐車場があって、とくにアケボノツツジの季節は大にぎわいになるようですが今日はだれもいません。

登山口に杖がおいてあってそれを借りて10時40分スタート。1時間ほどのぼります。整備された階段があって途中はツバキ林と山ツツジ、廃寺のあとがあって古くからの信仰の道のようです。



asizuri misaki

あの雲のあたりが篠山(笹山)らしい

ダイハツのタント


廃寺のあと



尾根上にでると景色がひらけ、また石段があって山頂の篠山神社へ続いています。山頂には伊予と土佐の国境標石があり、頂なのに小池があるのが不思議です。

名物のアケボノツツジは連休の前が盛りだったようで今はひと花もなし、全山みごとな新緑です。三本杭の山が向かいに見えるようですがどれがどれだか。

山頂だというのにだれもいません。のんびりしてから下山しました。


篠山は標高1065m、日本300名山のひとつらしい。登山口からの標高差は300mほどで2時間半ほどのハイキングでした。けっきょくだれにも会わない静かな山歩きになりました。

山頂にある篠山神社

笹山とも書くらしい

新緑がきれい。遠くは霞んでいてなんだかわからない


くねくね林道を下り、四万十市に戻ります。お気に入りの中村温泉に寄ってから四万十川沿いに国道441号を遡ります。三桁国道でくねくね道なのに一車線区間が長くひやひやの酷道ドライブです。その昔鬼が住んだ土佐の秘境とはこのあたりなのか。拡幅工事がすすんでいて、一度は名物の沈下橋を走らせられました。橋桁のない狭い一車線橋は軽バンでもこわいようです。


やたらに長くて曲がりくねった四万十川ですが、カヌーの名所のひとつが江川崎用井にあります。ネットででたところで予約したのがここのカヌー館のツアーでした。明日のツアーが楽しみです。

近くには道の駅よって西土佐があります。


それはさておき。ドライブしているとお遍路さんが歩くのにときどき出会います。信仰なのか鍛錬なのか、おそれいます。お遍路さんも道の駅を便利にしているようです。リアルバックパッカーですね、

ドライブ中に恐れ入ることはほかにもあってそれは現代のトンネル力です。今は四国山脈のあちこちに道が通じています、また足摺岬など地の果てでも、素晴らしいトンネルや橋が供用されていて、現代の重機の力にはおそれいるほかありません。

伊予富士に登る

 四国の山旅1 

2022年5月8−9日 日、月曜日

メンバー 伊藤文博 記






連休開けのすいているときを選んで四国、そのうち愛媛県と高知県をまわりました。

300名山の伊予富士と篠山、あと行ってみたかった四万十のカヌー下りが主な目的です。

天気の悪い周期だったようで、一週間の写真をみてもパッとしない空模様がわかります。

とはいえ行動に支障はなく、あちこち空いていて、おおむね予定どおりでした。お気に入りのパノラマ写真も撮れました。

知らない土地を見るのはおもしろいです。


2022年5月8日 日曜日

羽田発7時15分のANA便787で松山へ。琵琶湖の上から瀬戸内海に入り好天の松山にランディング。この空港のフツーなのか直前で180度ターンして着陸するのがすごかった。一本滑走路なので風向きによってそうなるのでしょう。石鎚山側からは進入できないのではと想像します。

バジェットでレンタカーします。ダイハツのタントという軽バンです。

下道で西条へ。石鎚山がよく見えます。

国道のうどんや。遠い山は石鎚山かな

寒風山トンネル旧道から

アケボノツツジと寒風山 


小松のハイウエイオアシス(石鎚道の駅と同じ)のモンベルでコンロ用のガスカートリッジを仕入れました。

国道沿いでぶっかけうどんを食べてから山越えします。四国山脈(石槌連山)を寒風山トンネルで抜けて高知県にはいり、すぐ木の香温泉道の駅。谷間にあるきれいなところです。伊予富士とはいいますが土佐側から登るのがかんたんなようです。


5月9日 月曜日

伊予富士、標高1756mで石鎚連山の繋がりにあります。旧寒風山トンネル入口が登山口で標高1100m。木の香温泉からはモーレツなくねくね道を30分ほど走ります。

この山道の先は、UFOラインというスカイラインで石鎚連山の山腹をまくように走っています(この道から石鎚山に登るのがいちばんカンタンだと、下山後となりのキャンピングカーおじさんに聞きました)。

あたりにだれもいませんが6時20分にスタート。1時間もかからずに主脈の桑背峠にでます。朝日が当たっっていたはずですが稜線にでるとガスぽい。とはいえ寒風山がよく見えます。アケボノツツジの咲く尾根道をさらに1時間ほど、伊予富士は見えるようで見えないか。雨もポツリポツリとやってきました。名物の急登があって9時に山頂につきました。ここまでだれにも会わずでしたが反対側からガイド付きの団体登山がやってきて驚きました。おばさんの多いグループのようです。早めに来た道を戻ることにしました。

アケボノツツジ

伊予富士山頂


伊予富士山頂から


雨はさほどのことはなく雨具も不要でしたが濡れたクマザサのおかげでズボンと短靴はびしょ濡れになりました。帰りは1時間半ほどで10時20分終了。


明日は好天予報なのでつぎの篠山に登りたいところです、足摺岬にも行ってみたい、ということで、今日中に四国南端の町土佐清水まで移動することにしました。

途中、須崎道の駅に寄ってカツオのたたきをゲットしました。これは前回絶品と思った一品です。そのあと四万十市の中村温泉に寄りました(銭湯温泉で翌日も入ることになります)。四万十市といいますが、土佐中村のことで旧名のほうがあじわいぶかい気がします。

飛行機から

飛行機から2

石鎚山から