諏訪の友人ふたり。去年と今年逝きました
高木義一朗さん
たまたま長野日報ネットで高木さんが「八つ縄文織り」の本を出したというニュースをみました。テレビ動画もあってインタビューされる高木さんを見ました。老けたな、という感じ。車椅子なので、どうしたのかなと、原田ひろふみさんに聞いたところ、6月におなくなりになった、という。がっくりきました。
高木さんは諏訪清陵高校山岳部の一年上の先輩であちこち山にいきました。力持ちで優しいという金太郎のような方でした。私の印象をひとことで言えば「いい人すぎる」かな。
私は中学は東京だったんですが茅野の実家に帰ると兄につれられて八ヶ岳など登っています。それで山好きになったんです。兄の大学進学と入れ替わりに茅野にもどり、それで高校へ、それで山岳部に入ったわけです。部室に一年上の先輩が数人、そのなかに高木さんがいました。キスリングを背負って春山、夏山、秋山、冬山合宿など行き基本的なことを教わりました。岩登りも二葉の岩場で練習してよく八ヶ岳へいきました。放課後は立石展望台までランニング。
一年生最初の夏山は北アルプス縦走で、針ノ木峠を超えて薬師岳、槍ヶ岳、徳本峠こえ、島々という長いルートです。二年生の高木さんがリーダーでよくしてくれました。覚えているのは、早朝、一年生のテントゆっくり寝かせておいて、高木さんが毎朝ご飯を作ってくれたことです。万事そんな人でした。
甲州街道沿いの老舗「いちき糸店」の3代目、並びには真澄酒造があり、学校までは5分くらい、上諏訪の商家の子だったわけですね。山岳部にはほかにも関さん、金子さん、一世さん、飯田さん、片桐さん、 さん、上諏訪の育ちのよさそうな子がいました。家具やの宮坂さんは20歳ころ八ヶ岳で死にましたね。先輩にはほかに法政山岳部の宮原さん、早稲田全共闘の小松さんがいました。小松さんは夏山合宿にOB参加してくれました。
いちき糸店の手創りのホームページを作って諏訪の山の案内なども載せていて近況がわかり楽しみだったんですが、いつのまにか、消えてしまったようで残念です。90年代のことです。
八つ縄文織りもそのころから研究したのでしょう。忘れられた諏訪の織物を再発掘して復元、改良したらしい。詳しくはわかりませんが、効率のいい織り機も作ったそう。理系の頭でしたからエクセルなども活用して新しい織り方を発明したということかな。もっと行政などとつながって広めたら諏訪の文化水準も上がったのではとおもいます。
それにしても「八つ縄文織り」というネーミング。八つは八ヶ岳のことで山屋の言葉、符牒です。縄文は縄の模様ではなくて縄文時代から続くというようなニュアンスかな。山好きの高木さんらしいです。
2024年10月伊藤文博 語る
長野日報の記事。4月の取材だから亡くなる2ヶ月前、療養中だったよう |
八つ縄文織り。インスタのいちき糸店から |
インスタのいちき糸店から |
信濃毎日新聞から |
中央アルプス秋山山行、1964年東京オリンピック開会式の日、空木岳。 探していた写真ですが、数年前、関洋一さん所有のものを高木さんが送ってくれました |
右から、高木さん、明孝くん、関くん、伊藤フミヒロ、金子さん |
高木さんと一世さん |
浜久雄さん
諏訪郡宮川村とかつて言いましたが今は茅野市宮川です。諏訪大社上社を流れる川なので宮川。宮川小中学校でいつも学年トップの秀才でした。大学を出て精工舎に長年つとめ、長男だったんで諏訪にもどりエプソンに入り取締役をしていたようです。数年前奥さんをなくされて気の毒でした。
あとは悠々自適に暮らしていましたね。
ゴルフが好きで得意だったよう。5年ほどまえの同窓会では幹事をつとめ、東京オリンピックのチケットがあたってたのしみだと言っていました。
高校時代は宮川村の仲間の級長的なリーダーだったとおもいます。ほとんどが大学卒後、就職した人も結局諏訪(宮川)に戻りましたので、そこでも発言や振る舞いは影響力があったのではないでしょうか。もともと楽天的で明るい人でした。
高校時代は東大へ行くのかと思っていましたが、名古屋の工業大学に入りました。60年代の田舎ですから進学塾があるわけでもなし受験勉強もてきとうなものだったとおもいます。というのは山ばかり行っていた私の感想で、できる人はそれなりにいて、いい学校、いい仕事を見つけています。久雄さんはほんとうにできる人だったんですね。
70年前半にヨーロッパへ遊びに行っています。多分新婚旅行か、写真を見せてもらいました。フェイスブックをみて最近ピラミッドを見に行ったようで感心しました。好奇心の強い人なのでしょう。
団塊世代は競争世代だったと言われますが、それでも田舎はのんびりしたものでした。東京に出てから遅れてはいけないと頑張った人がいて、実家に帰ればいいやと田舎に戻った人がいた、、のではないでしょうか。このことはまた考えてみましょう。
久雄さんは生まれつきのいい頭をしっかり前に向けて、上手に人生をこなしたように思います。
2024年10月伊藤文博 語る
フェイスブックで知りました |