2026年1月13日 水曜日
member kei itokisya
裏日本は大雪で関東は青空の日。風はなくたいして寒くないです、
干潟は乾いていて水鳥すくない。
3回目か4回目です。空いていました。
Geminiとの対話
「ポストクラシック」と「グルダ」という視点、
非常に面白いですね!
今の音楽シーンで語られる**「ポストクラシック」**(マックス・リヒターやニルス・フラームに代表される、クラシックの素養を持ちつつ、電子音楽やミニマリズム、即興を越境するスタイル)の先駆者としてグルダを捉えると、彼の異端児ぶりがより鮮明に見えてきます。
前回、私たちが話していたのは、おそらく以下のような**「グルダが現代のポストクラシックに繋がるポイント」**ではなかったでしょうか。
1. ジャンルの解体と「音楽そのもの」への回帰
ポストクラシックのアーティストたちは、クラシックの「厳格な伝統」を尊重しつつも、それを現代の感性で解体します。グルダもまた、1950年代という早い時期から**「クラシックの演奏会は死んだ場所だ」**と批判し、ジャズの即興性を取り入れました。
共通点: 「聴衆を静かに座らせて拝聴させる」という形式を嫌い、もっとダイレクトで自由な音楽体験を目指した点。
2. 即興演奏の再評価
ポストクラシックでは、楽譜通りに弾くことよりも、その場の空気や感情を反映した即興が重視されます。
グルダの先見性: 彼はベートーヴェンのソナタの繰り返し部分ですら、当時の慣習を無視して装飾(即興)を加えることがありました。「作曲家が求めていたのは生命力であって、型ではない」という彼の哲学は、現代のポストクラシック奏者たちのスタンスと強く共鳴します。
3. 「宅録」的・プライベートな親密さ
グルダが晩年、自宅で録音したシューベルトの即興曲などは、完璧なコンサートホールの響きではなく、まるで横で弾いているかのような**「親密さ(インティマシー)」**があります。
ポストクラシック的要素: ピアノのハンマーが動く音や部屋の鳴りまでも取り込む現代の録音スタイルに、グルダの晩年の録音は非常に近い質感を持っています。
4. 楽器へのアプローチ(アコースティックの拡張)
彼はベーゼンドルファーを愛しましたが、時にはクラビコードのような古い楽器を使い、音の減衰や繊細なニュアンスを追求しました。これは、現代のポストクラシック奏者がアップライトピアノにフェルトを挟んだり、マイクを極限まで近づけたりするアプローチの先駆けとも言えます。
「グルダは、ポストクラシックという言葉が生まれる数十年前に、一人でそれを体現していた」
もし前回、このような「時代を先取りしすぎたグルダ」について話していたとしたら、次は具体的にどの曲がその雰囲気に近いか、あるいは現代の誰(ニルス・フラームなど)とグルダが似ているか、といった話を深掘りしてみませんか?
バッハ、フィリップ・グラス、そしてグルダ
バッハ、フィリップ・グラス、そしてグルダ。この三者を「ミニマル」というキーワードで繋ぐと、音楽史の点と線が非常にエキサイティングに結びつきます。
彼らを通底しているのは、**「反復が生むトランス(恍惚感)」と「数学的な構造美」**です。
1. バッハ:ミニマリズムの「真の始祖」
現代のミニマル・ミュージックの作曲家たち(グラスやライヒ)にとって、バッハは最大のインスピレーション源の一つです。
旋律の細胞: バッハのプレリュード(例えば『平均律クラヴィーア曲集』第1巻の第1番)は、一つの小さな音型を繰り返しながら和声を変えていく構造であり、これはまさにミニマリズムの手法そのものです。
ノンストップの運動性: 拍子が一定で、執拗に動き続ける16分音符の連なりは、聴き手を一種の瞑想状態やトランス状態へと誘います。
2. フィリップ・グラス:バッハを現代の「システム」へ
グラスはバッハを深く研究し、その構造を極限までシンプルに、かつ巨大に引き延ばしました。
バッハとの接続: グラスの音楽も、バッハと同様に「和声の積み重ね」と「執拗な反復」で構成されています。彼はバッハが持っていた「論理的な美しさ」を、現代の反復音楽として再定義しました。
ピアノ音楽の共通性: グラスの『エチュード』などを聴くと、バッハの練習曲が持つ「ストイックな指の動き」が、そのまま現代的なエモーションへと変換されているのがわかります。
3. グルダ:バッハとミニマルを「肉体化」した男
ここでグルダが登場します。彼はこの二者の架け橋となるような、極めて特殊な演奏スタイルを持っていました。
ノン・レガートの衝撃: グルダのバッハは、音を一切繋げない「ノン・レガート」で、まるでタイピングのように正確に刻まれます。この機械的(メカニカル)なまでのリズム感こそが、彼をポストクラシックやミニマルに近づけている要因です。
「プレリュード」の解釈: グルダが弾くバッハのプレリュードは、ロマン派的な感情表現を排し、パルス(鼓動)だけを抽出します。そのストイックな響きは、フィリップ・グラスの音楽が持つ「無機質な美」と驚くほど似ています。
ジャズとの交差点: グルダにとってのミニマル(反復)は、ジャズの「グルーヴ」とも繋がっていました。一定のリズムを刻み続ける中で、微妙な変化を楽しむ。この姿勢はバッハ、グルダ、グラスに共通する「知的な遊び」です。
三者の関係を図式化すると
| 特徴 | J.S. バッハ | フィリップ・グラス | フリードリヒ・グルダ |
| 役割 | 構造と反復の源流 | 現代ミニマルの確立 | 演奏によるミニマルの体現 |
| 音楽的核 | 対位法と和声の論理 | 循環するパターン | 厳格なテンポと打鍵 |
| 精神性 | 祈りと瞑想 | 没入とトランス | 自由と反抗 |
興味深いエピソード:
グルダは晩年、バッハの曲をクラビコード(非常に音の小さい古楽器)で、ささやくような音量で延々と繰り返して弾くことを好みました。その「音を削ぎ落とした先にある反復」は、現在のポストクラシック奏者たちが目指している境地そのものだったと言えるかもしれません。
もしお手元に音源があれば、バッハの『平均律』の第1番プレリュードと、**フィリップ・グラスの『エチュード第2番』**を、グルダのタッチをイメージしながら聴き比べてみてください。驚くほど地続きに聞こえるはずです。
次は、この「反復の美学」がどのようにジャズの即興と結びついているか、グルダ独自の視点についてお話ししましょうか?
