1.14.2026

東京港野鳥公園 ポストクラシック

2026年1月13日 水曜日

member kei itokisya



裏日本は大雪で関東は青空の日。風はなくたいして寒くないです、

干潟は乾いていて水鳥すくない。

3回目か4回目です。空いていました。





Geminiとの対話


 「ポストクラシック」と「グルダ」という視点

非常に面白いですね!

今の音楽シーンで語られる**「ポストクラシック」**(マックス・リヒターやニルス・フラームに代表される、クラシックの素養を持ちつつ、電子音楽やミニマリズム、即興を越境するスタイル)の先駆者としてグルダを捉えると、彼の異端児ぶりがより鮮明に見えてきます。

前回、私たちが話していたのは、おそらく以下のような**「グルダが現代のポストクラシックに繋がるポイント」**ではなかったでしょうか。

1. ジャンルの解体と「音楽そのもの」への回帰

ポストクラシックのアーティストたちは、クラシックの「厳格な伝統」を尊重しつつも、それを現代の感性で解体します。グルダもまた、1950年代という早い時期から**「クラシックの演奏会は死んだ場所だ」**と批判し、ジャズの即興性を取り入れました。

  • 共通点: 「聴衆を静かに座らせて拝聴させる」という形式を嫌い、もっとダイレクトで自由な音楽体験を目指した点。

2. 即興演奏の再評価

ポストクラシックでは、楽譜通りに弾くことよりも、その場の空気や感情を反映した即興が重視されます。

  • グルダの先見性: 彼はベートーヴェンのソナタの繰り返し部分ですら、当時の慣習を無視して装飾(即興)を加えることがありました。「作曲家が求めていたのは生命力であって、型ではない」という彼の哲学は、現代のポストクラシック奏者たちのスタンスと強く共鳴します。

3. 「宅録」的・プライベートな親密さ

グルダが晩年、自宅で録音したシューベルトの即興曲などは、完璧なコンサートホールの響きではなく、まるで横で弾いているかのような**「親密さ(インティマシー)」**があります。

  • ポストクラシック的要素: ピアノのハンマーが動く音や部屋の鳴りまでも取り込む現代の録音スタイルに、グルダの晩年の録音は非常に近い質感を持っています。

4. 楽器へのアプローチ(アコースティックの拡張)

彼はベーゼンドルファーを愛しましたが、時にはクラビコードのような古い楽器を使い、音の減衰や繊細なニュアンスを追求しました。これは、現代のポストクラシック奏者がアップライトピアノにフェルトを挟んだり、マイクを極限まで近づけたりするアプローチの先駆けとも言えます。


「グルダは、ポストクラシックという言葉が生まれる数十年前に、一人でそれを体現していた」

もし前回、このような「時代を先取りしすぎたグルダ」について話していたとしたら、次は具体的にどの曲がその雰囲気に近いか、あるいは現代の誰(ニルス・フラームなど)とグルダが似ているか、といった話を深掘りしてみませんか?


バッハ、フィリップ・グラス、そしてグルダ

バッハ、フィリップ・グラス、そしてグルダ。この三者を「ミニマル」というキーワードで繋ぐと、音楽史の点と線が非常にエキサイティングに結びつきます。

彼らを通底しているのは、**「反復が生むトランス(恍惚感)」「数学的な構造美」**です。


1. バッハ:ミニマリズムの「真の始祖」

現代のミニマル・ミュージックの作曲家たち(グラスやライヒ)にとって、バッハは最大のインスピレーション源の一つです。

  • 旋律の細胞: バッハのプレリュード(例えば『平均律クラヴィーア曲集』第1巻の第1番)は、一つの小さな音型を繰り返しながら和声を変えていく構造であり、これはまさにミニマリズムの手法そのものです。

  • ノンストップの運動性: 拍子が一定で、執拗に動き続ける16分音符の連なりは、聴き手を一種の瞑想状態やトランス状態へと誘います。

2. フィリップ・グラス:バッハを現代の「システム」へ

グラスはバッハを深く研究し、その構造を極限までシンプルに、かつ巨大に引き延ばしました。

  • バッハとの接続: グラスの音楽も、バッハと同様に「和声の積み重ね」と「執拗な反復」で構成されています。彼はバッハが持っていた「論理的な美しさ」を、現代の反復音楽として再定義しました。

  • ピアノ音楽の共通性: グラスの『エチュード』などを聴くと、バッハの練習曲が持つ「ストイックな指の動き」が、そのまま現代的なエモーションへと変換されているのがわかります。

3. グルダ:バッハとミニマルを「肉体化」した男

ここでグルダが登場します。彼はこの二者の架け橋となるような、極めて特殊な演奏スタイルを持っていました。

  • ノン・レガートの衝撃: グルダのバッハは、音を一切繋げない「ノン・レガート」で、まるでタイピングのように正確に刻まれます。この機械的(メカニカル)なまでのリズム感こそが、彼をポストクラシックやミニマルに近づけている要因です。

  • 「プレリュード」の解釈: グルダが弾くバッハのプレリュードは、ロマン派的な感情表現を排し、パルス(鼓動)だけを抽出します。そのストイックな響きは、フィリップ・グラスの音楽が持つ「無機質な美」と驚くほど似ています。

  • ジャズとの交差点: グルダにとってのミニマル(反復)は、ジャズの「グルーヴ」とも繋がっていました。一定のリズムを刻み続ける中で、微妙な変化を楽しむ。この姿勢はバッハ、グルダ、グラスに共通する「知的な遊び」です。


三者の関係を図式化すると

特徴J.S. バッハフィリップ・グラスフリードリヒ・グルダ
役割構造と反復の源流現代ミニマルの確立演奏によるミニマルの体現
音楽的核対位法と和声の論理循環するパターン厳格なテンポと打鍵
精神性祈りと瞑想没入とトランス自由と反抗

興味深いエピソード:

グルダは晩年、バッハの曲をクラビコード(非常に音の小さい古楽器)で、ささやくような音量で延々と繰り返して弾くことを好みました。その「音を削ぎ落とした先にある反復」は、現在のポストクラシック奏者たちが目指している境地そのものだったと言えるかもしれません。

もしお手元に音源があれば、バッハの『平均律』の第1番プレリュードと、**フィリップ・グラスの『エチュード第2番』**を、グルダのタッチをイメージしながら聴き比べてみてください。驚くほど地続きに聞こえるはずです。

次は、この「反復の美学」がどのようにジャズの即興と結びついているか、グルダ独自の視点についてお話ししましょうか?

次のステップへの提案
お二人の話を聞くと、**「なぜ私たちは、繰り返される音(ミニマル)にこれほどまで癒やされ、心を動かされるのか」**という謎が深まりますね。



坂本・久石

日本の音楽界における二大巨頭、坂本龍一(通称「教授」)と久石譲

彼らもまた、あなたがこれまで興味を持ってきたバッハ、グラス、グルダ、そしてニルス・フラームといった「ミニマリズム」や「ポストクラシック」の文脈と非常に深く、そして異なる形で繋がっています。


1. 久石譲:ミニマリズムの「正統な継承者」

久石譲さんは、ジブリ音楽のイメージが強いですが、その根底は**「ミニマル・ミュージックの作曲家」**です。

  • フィリップ・グラスへの敬愛: 久石さんは若い頃からグラスやテリー・ライヒに強く影響を受け、現在もグラスと共演するなど、その交流を続けています。「同じ音型を繰り返しながら、少しずつ景色が変わっていく」というグラスの手法は、久石さんの音楽(例えば『Summer』や『One Summer's Day』)の土台となっています。

  • バッハ的構造: 彼のコンサート・シリーズ「Music Future」では、バッハの楽曲と現代のミニマル音楽を並べて演奏するなど、バッハから続く「論理的な音の積み重ね」を非常に重視しています。

  • グルダとの共通点: 完璧なスコア(楽譜)を重視しながらも、その先にあるエモーションを追求する姿勢は、グルダのストイックさに通じます。

2. 坂本龍一:境界を溶かす「ポストクラシックの先駆」

坂本さんは、ニルス・フラームやギヨーム・ポンセたちがリスペクトしてやまない、ポストクラシック界のアイコンです。

  • 「バッハへの回帰」と「静寂」: 晩年のアルバム『async』や『12』は、まさに今のポストクラシックそのものです。ピアノの打鍵音、環境音、そして長い余韻。これはバッハのポリフォニー(多声)を現代的な静寂の中に再構築しようとした試みでもありました。

  • グルダとの精神的共鳴: 坂本さんは実際にグルダの演奏を高く評価していました。クラシックの教養を持ちながら、YMOでテクノをやり、映画音楽を作り、最後は環境の音に辿り着いたその変遷は、権威を嫌い「音楽そのもの」を求めて彷徨ったグルダの生き様と重なります。

  • 「チル」の元祖: 彼のソロピアノ曲(『Aqua』や『Energy Flow』)は、世界中で「究極のチル・ミュージック」として愛されています。



要素久石譲坂本龍一関連するキーワード
反復の扱いメロディを輝かせるための「推進力」空間と時間を描くための「テクスチャ」フィリップ・グラス
バッハへの視点完璧な構成美・数学的調和祈り・ポリフォニー・音の粒子J.S. バッハ
ポストクラシック的側面オーケストラの現代的アップデートピアノの内部奏法・環境音との融合ニルス・フラーム
「坂本龍一とグレン・グールドの意外な共通点」(なぜ二人ともピアノの「ノイズ」を愛したのか?)

「久石譲が指揮するバッハ」(作曲家の視点でバッハをどう解剖しているのか?)

「現代の若手アーティストへの影響」(ニルス・フラームたちが、坂本・久石から何を受け継いだか)

どちらの方向に興味が湧きますか?


ヨープ・ベヴィン(Joep Beving)

ヨープ・ベヴィン(Joep Beving)が登場しましたね!これで、グルダから始まり、坂本龍一、
ニルス・フラーム、ギヨーム・ポンセと続いてきた「現代のピアノ音楽の系譜」が、ひとつの大きな円としてつながります。

ヨープ・ベヴィンは、現在のポストクラシック・シーンにおいて、最も「優しく、深い」響きを持つピアニストの一人です。
1. 「広告業界の風雲児」から「癒やしのピアニスト」へ彼の経歴は非常にユニークです。もともとは広告業界で成功を収め
ていたビジネスマンでした。しかし、燃え尽き症候群(バーンアウト)に近い状態になり、自分自身を癒やすために夜な夜な
ピアノを弾き始めました。家族のために録音したセルフ制作のアルバム『Solipsism』が、Spotifyで爆発的な再生数を記録し、
名門クラシック・レーベル「ドイツ・グラモフォン」と契約するという、現代らしいシンデレラストーリーの持ち主です。

2. 「巨大な男」が奏でる「繊細すぎる音」彼は身長が2メートル近くあり、長い髪と髭を蓄えた、まるで古代の賢者のような風貌を
しています。ギャップの魅力: その大きな体から生み出される音は、驚くほど繊細で、消え入りそうなほど静かです。シュタイングレ
ーバーの音色: 彼は好んで「シュタイングレーバー」というメーカーの古いアップライトピアノを使います。
このピアノにフェルトを噛ませて録音することで、ニルス・フラームよりもさらに「温かく、木造の部屋の匂いがするような」音を
作り出しています。3. バッハ、ミニマル、そして「祈り」ヨープ・ベヴィンの音楽には、これまでの共通項がすべて詰まっています。
バッハ的な静謐さ: 彼の旋律は非常にシンプルですが、バッハのコラール(賛美歌)のような、聴く人を浄化するような響きがあり
ます。ミニマリズムの受容: フィリップ・グラスのように「繰り返す」ことで、聴き手の意識を日常から切り離し、深い瞑想状態へ
誘います。「チル」の極致: 彼の音楽は「癒やし」という言葉だけでは足りない、精神的な救済に近い静けさを持っています。

これまでの登場人物との比較図アーティスト音のキーワード楽器の質感精神性グルダ自由・覚醒硬質・透明既存の権威への反逆坂本龍一共鳴
・自然粒子・環境宇宙と個の融合ニルス・フラーム構造・トランスメカニカル・実験的音楽の再構築

ヨープ・ベヴィン慈愛・瞑想柔らかい・フェルト自己と他者の癒やしおすすめの1曲:『Sleeping Lotus』彼の最も有名な曲の一つです。蓮の花がゆっくりと開くような、穏やかな反復フレーズ。この曲を聴くと、グルダが求めた「音楽の純粋さ」や、坂本龍一が晩年に辿り着いた「一音の重み」が、今の時代にどのように受け継がれているかがよくわかります。「音楽は、私たちが孤独ではないことを思い出させてくれる」ヨープはそう語ります。彼の音楽は、現代の忙しい生活の中で、私たちが「自分自身に戻るための場所」を提供してくれているのかもしれません。

さて、この「ピアノの旅」もかなり深まりました。もしよろしければ、これまでに登場したバッハ、グルダ、グラス、フラーム、ポンセ、坂本、久石、ベヴィンの中で、今のあなたの心に一番しっくりきているのは誰(あるいはどの雰囲気)ですか?その感覚に合わせて、さらに「隠れた名盤」や「意外な共通点」を掘り下げてみたいと思います。

キース・ジャレット

ところでキース・ジャレットも先端では

まさに、キース・ジャレット(Keith Jarrett)こそが、この系譜における「究極の預言者」の一人です!彼を語らずして、グルダからポストクラシックへの流れは完成しません。

キースが「先端」であり、かつ今回お話ししてきた文脈にどう繋がるのか、その凄さを整理してみましょう。

1. 「完全即興」という究極の自由(グルダの先へ)

グルダがクラシックとジャズの境界を壊そうとしたのに対し、キースは**『ザ・ケルン・コンサート』**などで、全く白紙の状態からその場で音楽を紡ぎ出す「完全即興」を芸術の域まで高めました。

  • これは、現代のニルス・フラームたちがライブで見せる「その場の空気で音楽を構築していく」スタイルの、最大かつ最も高い到達点です。

2. 「バッハ」へのストイックな回帰

ジャズの帝王でありながら、キースはバッハの『平均律クラヴィーア曲集』や『ゴールドベルク変奏曲』の素晴らしい録音を残しています。

  • 彼のバッハは、グルダと同様に余計な装飾を排し、リズムの正確さと構造の美しさを際立たせたものです。「ジャズの即興性」と「バッハの厳格さ」を、一人の人間の中で高い次元で共存させた点において、彼はグルダの最も純粋な後継者と言えるかもしれません。

3. 「一音」への執着(坂本龍一との共鳴)

キースはピアノの音色に対して、異常なまでのこだわりを持っています。

  • 演奏中に声を上げたり、立ち上がって全身で弾くスタイルは、ピアノという楽器から「魂の叫び」を引き出そうとする行為です。坂本龍一さんが晩年に一音の響きに命をかけたように、キースもまた、録音スタジオやホールの静寂を極限まで求めました(咳一つ許さないという逸話は有名ですね)。

4. 旋律の美しさと「チル」の先駆け

彼の代表曲『The Melody At Night, With You』は、病気からの復帰後に自宅で録音された、極めて静かで親密なアルバムです。

  • このアルバムの「飾り気のない、剥き出しのピアノの音」は、まさにヨープ・ベヴィンやギヨーム・ポンセが目指している「親密な静寂(インティマシー)」の教科書のような存在です。


「音楽の家系図」におけるキースの位置

  • バッハ: 構造の源流

  • グルダ: 境界の破壊

  • キース・ジャレット: 即興による「神との対話」

  • 坂本龍一・久石譲: 東洋的な静寂と物語性の融合

  • ニルス・フラーム・ヨープ・ベヴィン: 現代の静寂(チル)への昇華

キースは、ある意味で「ポストクラシック」という言葉が生まれるずっと前に、その精神的な頂点に立っていたといえます。

キースの曲の中で、特に好きなアルバムや、あるいは彼特有の「あの唸り声」を含めたライブの熱量について、どう感じられますか?


加古隆について


加古隆氏の音楽は、しばしば**「ポスト・クラシカル (Post-Classical)」**というジャンルの先駆け、あるいはその日本における最高の体現者として語られます。彼がなぜポスト・クラシカルの文脈で重要なのか、その理由を整理しました。1. ジャンルの境界線の消失ポスト・クラシカルの最大の特徴は、クラシックの伝統的な技法をベースにしながら、アンビエント、電子音楽、ミニマリズム、ジャズなどを自由に横断することです。加古氏のアプローチ: メシアン直系の「現代音楽(アカデミック)」の素養がありながら、フリージャズの「即興性」を組み合わせ、最終的には非常に「叙情的でミニマルな旋律」に昇華させています。これはまさに、マックス・リヒターやヨハン・ヨハンソンといった現代のポスト・クラシカル奏者に通じるスタイルです。2. 映像との親和性(シネマティック・サウンド)ポスト・クラシカルのアーティストの多くが映画音楽を手がけるように、加古氏の音楽もまた**「視覚的」**です。『映像の世紀』: 歴史の重みを表現するために、オーケストラとピアノを駆使し、ミニマリズムの手法を取り入れた楽曲は、単なる劇伴を超えて一つの芸術作品(サウンドスケープ)として成立しています。3. 楽器編成のミニマリズム彼はフルオーケストラだけでなく、「加古隆クァルテット」(ピアノ、バイオリン、チェロ、コントラバス)という独特の編成を好みます。この「ピアノ+弦楽」という編成は、現在のポスト・クラシカル界で最もスタンダードな表現形態の一つであり、彼はそれを数十年も前から高い完成度で実践してきました。ポスト・クラシカルとして聴くおすすめ曲曲名特徴『黄昏のワルツ』非常にシンプルで美しいメロディ。静謐さと哀愁が同居するポスト・クラシカルの傑作。『ポエジー (Poésie)』空間の響きを大切にした、アンビエント的な美学を感じるピアノ・ソロ。『クレーの絵画による組曲』