8.21.1998

小川山 屋根岩2峰南稜

小川山のマルチピッチ2本を
屋根岩2峰南稜とガマルート
1998-8-21.23 ちゅう、クルミサワ
8-21 平日なのですいすいと走って廻り目平着930分。
新エリア母岩にみんなで行く。ぼくは最右翼に新ルートのボルトうち。フェ
イスルートが2本あって、右がボルト3本で5.9 左がボルト4本で5.10bの予
定。午後おそくなって完成。これで新エリアには12本のルートができたこ
とになる。
夜は開拓王や小林由加ファミリーと食事。

8-22 森田秀巳、松倉一夫
朝おきてみると今日もよい天気。森田、松倉のなかよしコンビがテントから
でてきた。ゆっくり朝ごはんをすませ10時くらいに屋根岩2峰南稜にでか
ける。ちゅうさんが小川山のホーム頁からプリントしてきたもので1995年に
できた比較的あたらしいルート。全員初めてのところ。
取り付きの岩はカモシカ遊歩道の途中からちょと登ったところ。1pであしな
らし。2pがけっこうむずかしく、3pは楽々、4pはトポでは2本めのボルト
のあと右に逃げスラブを登るとあるが、むずかしそうなので直登するもそれ
も難しく、はからずもボルトをスタンスにしてA0。南稜は後1ピッチでコ
ブの頭にでるらしいが、ルートは強引にここからPTAのある岩につなげ、5、
6、7ピッチとつなげている。難しいところを登るのがすきならそれでよい
けれど、コブまで登っておわりにするのが自然かも。
5Pは短いが手強いボルダーで、図らずもボルトに足がのってしまう。6pは
10aというが、いかにも手強そうなので、利用すると5.8になるという足置き
岩をつかって登る。それでもけっこうスリルあり。6pは11aのボルト2本の
短いルートだが、充分楽しんだということで割愛。天気もよくみんな満足で
した。
夜はちゅうさん主催のミケ追悼祭に参加。

8-23 ちゅう、くるみさわ、桃、北山
ガマルートへ行く。きょうも天気よし。ハート&ソウルから始める。後半
部、いつも半月クラックのあるところをぬけるのだが、左手のスラブをのぼ
る。初めてのところ、2本めのボルトが核心で、むずかしい。左上に大きく
手をのばすとかかりのよいフレークがありそれで一丁あがり。10台後半がつ
いているのでは、と推測する。駐車場にもどり、夕方母岩の昨日の新ルートを
開拓王に登ってもらう。グレードも適正、ボルト位置もわるくないとのこと
で合格。
秋が近づいたら、いくつか、考えている新ルートにボルトを打とう。
夏休みの小川山には有名クライマーが多いようだ。これでもかというくらい
たくさんの古い顔をみたが、駐車場の出口で最後にあわせた顔は、ジャック
中根だった。

8.08.1998

小川山父岩母岩

TITIIWA HAHAIWA IN OGAWAYAMA

完璧な父、ピクニクラ、三日月のピンクリップ。母岩新ルート
新ルート開拓も
1998-8-8.9
 
8月8日
ちゅう、やすだ、汽車
 夏休みが始まって道路が混雑している。5時に東京をでたがもう渋滞はは
じまるところだった。大泉の安田別宅でメンバーと合流。11時ころには父
岩につく。人が多い。ちゅう、やすだが拓いた完璧の父を登る。終了点の改
良をかねて。10Cはあるだろう。取り付きは末端からでもOK。30mのルー
トになる。やすだが早びけするので下にくだり、兄岩下部へ。モンベルなべ
ちゃんや森下氏がいる。森下氏は4年ぶりとか。なべちゃんは去年のヨセミ
テ以来のクライミングだという。三日月のピンクリップ10Cをのぼる。きょう
はワンテンはいる。核心は左から行くのを忘れないようにしよう。ピクニク
ラを登る。いつもどおりワンテンはいる。なべちゃんがフォローするが敗
退。3本のぼってもういいか、というわけでビールをのんで解散。JMCCの
ベースにいき開拓王、菅原ブンなどと合流、夜宮崎さん合流。
8月9日
みやざき、開拓王、ぶんちゃん、たじやん
 きょうも天気がよい。母岩に行く。キャンプ場の真向かい。ままこ岩の左
奥。10a,10c、10cあたりの3本を登る。タジヤンが正面新ルートを初登。10a
から12aまで6本できた。さらに母岩となりに2本新ルートの開拓開始。夏の
うちにはできるだろう。来年のRock&Snowで発表の予定。金峰山荘に新しい風
呂ができた。道路混雑をさけ翌日朝帰京。おもえば、いつも同じような岩場
をあきもせずのぼっているものだ。

7.31.1998

北穂高東稜

アルプスの楽しい岩稜登り 北穂高東稜
アルパインクライミング気分が手軽にあじわえる
 
East ridge in Kitahotaka
 
1998-7-31/8-2
メンバー 川崎博 糸尾汽車

8-1
 滝谷で岩登りを、とはりきってでかけたが天候不良でいまいち。と
はいえ北穂高東稜をのぼり翌日かけおりてきて、足腰のトレーニン
グにはなりました。納涼も。
上高地からのんびり歩き、風呂限界の横尾山荘泊。
8-2
 6時に山荘をでて、9時まえに涸沢小屋着。南稜の夏道をいきハシ
ゴの手前のガラ場から東稜をめざす。ガラガラとのぼり尾根にで
る。先ほどまでみえた前穂の北尾根がガスにかくれ、あたりもガス
模様。
 忠実に稜線をたどる。安全のためにロープを2回ほどだす。ゴジ
ラの背はスリル満点。高い山のうえで岩登りをするのは気分がよ
い。そんなに難しくないところでもいいのだ。ゴジラの背の最後で
懸垂下降する。あとは150メートルほど急登をのぼると北穂の小
屋にでる。ガスであたりは何もみえない。
 ドーム中央稜取り付きまでの下降路を見にいく。ドームを過ぎて
クサリ場をおりたところ。バツ印のあるほうへ下る。ガスと風の
中、2、300メートルほどくだるとステンレスのボルトのある懸
垂下降地点にでる。ルートがわかったので小屋にもどる(懸垂距離
は25メートル内とのこと。)信毎の高沢記者などがいる。去年屏
風をのぼったあとヒュッテであったのがちょうど1年前というわけ
だ。夜はにぎやかだった。
 小屋の小山若主人によれば東稜は、いいルートです。ゴジラの背
をすっかり巻くこともでき、だれでも楽しめる、とか。最後の懸垂
下降も手前右手からラクラク歩いて下降できるそう。
 小山さんは『北穂の小屋はもともとクライマーの小屋です。歓迎
します。きてください』とおしゃっていました。そんなことをいっ
てくれるところが他にあるだろうか。北穂小屋をベースに滝谷を登
りほうだい、なんてクラシックでアルパインでいいではないか。飯
もうまくて有名、ココんちは。
8-3
 未明から、なんと雨。梅雨あけがおくれているのは聞いていた
が、そろそろと狙ってきたのに、今回ははずれらしい。明日も好天
は望めないとのことで、さっさと下山。次回の楽しみのココロだ。

7.23.1998

カナディアンロッキーの夏休み

CLIMBING IN CANADIAN ROCKY

カナディアンロッキーの夏休み
ひとりであちゃこちゃ登った

CLIMBING IN CANADIAN ROCKY
 

member 黒川晴介

1998-8、9
クラシックルートを登る
 バンクーバーで車を借りて、2日後にはキャンモア町営キャンプ場ですっかり落ち着いていた。キャンモアはバンフ国立公園の境界を少しでたところに発達した小
さな街だ。
 キャンモアの着いて1週間は体調が悪く、山に登れなかった。疲れが出て、カゼをひいてしまったらしい。天気は毎日最高だ。やれやれ。 どうにか体調も戻って
きたので、まずアシニボインに登ることにした。別名、カナディアン・ロッキーのマッターホルン。
 登山届けをバンフの公園事務所に出して、翌朝キャンプ場を出発する。ひとりで山に登るなら登山届けを出さないと、誰も探しに来てくれないので、これは重要な
事だ。

Mt.アシニボインを登る
 7月23日。ベースのアシニボイン・ロッジまでは、よく整備されたハイキング道で、7時間くらいだ。ここからさらに2~3時間登るとR.C.Hind Hut
が使えるが、ロッジ近くのキャンプ場からでも充分1日で往復できそうなので、ここで泊まることにした。
 7月24日。朝明るくなってから出発する。小屋までも少し岩場があった。稜に取りつき、ガレ場を適当に登る。
 前半はスクリーの登りだが後半は少し岩登りらしいところもあり、楽しい。途中で堅い雪や、氷も出てきたが、クランポンは使わず、ステップを切って登った。
 頂上から少し雪稜が続いているが、眺めはたいしたことはなかった。周りを氷河の山々に囲まれていないからかな?
 キャンプ場に戻り、ラーメンを食べて出発する。車までは25�ぐらいだ。最後はうす暗くなってきて、熊の出現にビクビクしながら歩くことになった。ああ疲れ
た。でもハイキング道は、ゴゼンタチバナやイチヤクソウ、オダマキがいっぱい咲いていてきれいだったな。

Mt.アサバスカへ
 7月28日。Mt.アサバスカへ行く。本当はMt.テンプルに行こうとしたら、公園レンジャーにグリズリーが出るから今はダメだと言われてしまった。こわいなあ、も
う。
 まあ、そういうわけでアサバスカに行くことにした。朝、暗いうちにキャンモアを出発した。アサバスカはコロンビアアイスフィールドにあり、キャンモアから車
で3時間ぐらいだ。 すっかり明るくなって、駐車場から歩きだす。雪がやわらかくなる前に下山したいけどちょっとムリみたいだ。途中でガイドパーティやメキシ
コの学生たちを追い越した。
 少しクレバス地帯を通ったけど、なんとか通貨して、頂上稜線へ出る。Mt.アンドロメダの眺めがすばらしい。
 写真を撮るとさっさと下山にとりかかった。雪がやわらかくなると、クレバス地帯はますます怖くなる。いざ下降を始めると歩きやすくて、頂上から1時間半ほど
で車まで戻ることができた。
 振り返るとアサバスカが、少し前に自分がいたことが信じられないくらい立派に見えた。

Mt.ビクトリア、Mt.レフロイを
 7月31日。レイクオハラまでのバスは予約制だ。僕が最後の乗客だった。昔、スクールバスだった黄色のオンボロはゆっくり林道を登ってゆく。レイクオハラは保
護のために1日につき2台のバス以外は、林道を3時間歩かないと行くことができない。
 Abbot Hutまでは3時間ほど。1920年代に建てられた石造りのすてきな小屋だ。ここまで泊まりに来るだけの人もいる。Mt.ビクトリアとMt.レフロイ
のコルにあり、ベースとして人気がある。
 8月1日。昨夜の雨が朝になっても降っている。昼過ぎまで待って出発するが、雷雲が少し怖い。岩場はたいしたこともなく、すぐ稜線に出た。クランポンをつけ
て頂上まで長い稜線を進んだ。途中で少しレイクルイーズ側も見えて、左右に立派な湖を見ながら歩くのは楽しかった。
 雷が怖いので頂上で写真を撮ってさっさと下る。最近はひとりのときは、頂上で「バンザイ」と言いながら両手を上げるが、これはなかなか気分がよい。
 小屋には4時前に戻り、早い夕食をとって寝袋に入った。
 8月2日。今日はすばらしい天気だ。レフロイの西壁に取りつく。雪壁はだんだんきつくなり、しかもかなり氷の部分があった。クランポンの前爪が半分も刺さら
ない。
 簡単だろうと思い、シングルアックスしか持たなかったので、頂上の少し下で敗退することにした。もちろんロープも持っていなかったので、登りの10倍ぐらいお
そろしいクライミングダウンになった。
 せっかくシャモニーで軽く小さいアイスバイルを買ったのに、車のトランクに入ったままだ。ロープを持って行かないならせめて、アックスは2本持って行こう。
 帰り道、バスの出発まで時間があったので林道を歩いていると、パークレンジャーが車に乗せてくれた。

Mt.エディスキャベルも
 8月20日。8月後半はずっと天気がさえない。ビクトリアに登ってから一度山に出かけたけれど、ルートがわからず敗退したので、ずいぶん山に登っていない気が
する。
 今日も頂上はガスの中だ。でも明日からまた天気が悪くなりそうなので、行ける所まで行くつもりで出発した。
 駐車場でお茶を飲んでいると、7時半になってしまった。だんだん早起きできなくなってきたし、怠け癖が出てきたようだ。
 東稜取りつきのコルで、先行パーティに追いついた。簡単な岩登りをまじえ、肩に出る。少しスノリッジを歩き頂上への岩場に取りつく。はるか下に駐車場が見え
る。
 頂上への岩場は気分がよかった。頂上は再び雪稜で少し雪庇が出ていた。ガスの中に入ったので寒い。バンザイをしてさっさと下る。
 駐車場には5時前に着いた。まあまあ充実した一日だった。

ついにMt.ロブソンだ
 8月23日。ロブソンの頂上は雲の中だ。8月後半に入ってずっと天気がさえないが、これがラストチャンスになりそうなので出発した。
 Ralph Forster Hut小屋までのアプローチはお世辞にもよいとは言えない。しかも1500�くらいヤブこぎやロッククライミングをまじえて登
らなければならない。それでもKiwey Lakeから4時間半ほどだった。
 8月24日。アメリカ人とカナダ人の3人パーティが3時ごろ出発した。僕は眠いので5時前まで寝ることにした。本当にダレてるなあ。上半分はガスの中だ。
 いやいやLittle Robsonまで登り、おやつを食べると少しやる気が出てきた。ここから先が最も危険なUpper s Glacierのセラック帯
の下を通ることになる。久しぶりにニュージーランドみたいな山登りだ。
 どうにか怖い所を通過してスノリッジに取りつくと、3人パーティに追いついた。ひとりは先に行って、2人はあきらめるようだった。南東稜側にルートを振っ
て、頂上へ。
 一度急にガスが晴れ、ロブソンだけが雲海の上に飛び出していた。群青色の空がすばらしかった。ほんの数分で再びガスに包まれ、もう二度と晴れることはなかっ
た。
 頂上で3人パーティのひとりと合流して握手する。彼はカナダ人で、彼が山登りを始めたとき、思い描いたゴールがロブソンの頂上で、今彼はそこに立っていると
話していた。少し感動が伝わってくる。
 下山は自分の足跡をたどるだけだ。危険なトラバースは走って越えた。
 小屋でラーメンを食べて、休憩する。僕は山で食べるラーメンが本当に好きだ。
 ツーリストインフォメーションの横のキャンプ場まで歩いて戻ったのは5時半ごろだった。
12時間のうちに、1500�登って3100�下ったことになる。充実した一日だったし、もうしばらく山に登らなくてよいと思うと嬉しかった。 一週間後、僕は
日本に帰った。

記録(すべてソロ、ロープ使わず)
① 7/23~24 Mt.アシニボイン北稜
② 7/28 Mt.アサバスカノースグレッシャー
③ 7/31~8/2 Mt.ビクトリア南東稜、Mt.レフロイ西壁(頂上下まで)
④ 8/20 Mt.エディスキャベル東稜
⑤ 8/23~24 Mt.ロブソン南壁

6.26.1998

ダンデデュアンとグランドジョラス

ダンデデュアンとグランドジョラス
黒川晴介・糸尾汽車

 

1998-6/26-7/11
6-26
KLM便の出発がおくれアムステルダムでの乗り継ぎがまにあわず、フランクフルト経由でジュネーブ
についたのはもう夜中の10時。おまけに荷物がでてこない。先発の黒ちゃんが出口でまっていて
くれた。ここからタクシーでシャモニのロジェールキャンプ場に乗り付ける予定だったが、今夜は
ジュネーブのユースホステルに泊ることにする。近所のケバブ屋で前祝いする。黒ちゃんはベルト
とトリアントをすでに登りコレクションを増やしたという。

6-27
バスでシャモニ入。ガイド組合の3Fでカルテネージュという救助保険にはいり(4000円くらい)
、スネルスポーツで小型バイル、アイスハーケンなど買いたして、夕方キャンプ場にもどると荷物が
届く。登はん具、テントなど一式がはいっていたのでよかった。キャンプ場にはオートキャんパー
がたくさん。クライマーも多い。韓国グループがおおいようだ。日本人クライマーは3人。伊藤、
中川、矢木さんら。フランス人は毎晩テレビのサッカー試合で盛り上がっている。天気はいまいち
か。当地は夜の10時にようやく暗くなるという日の長さだ。
6-29
天気がよさそうなのでダンデデュアンに登ることにする。ミディのロープウエイをつかい、さらに
トレノ小屋までのびる大展望ゴンドラにのる。11時、駅から氷河にくだりいきなりダンデデュアン
むかう。4000メートルの高峰にそびえる岩塔だ。そういえば先年バレブランシェを滑りおりたとき
ガイドが、あれがダンデデュアンと説明したのを覚えている。アイゼンをつけミックスのガラ場をの
ぼり食堂といわれる岩塔の基部にたつ。駅から2時間くらい。岩場に雪はないがフラットソールをも
ってきていないので登山靴でのぼることになる。3級から5級の6ピッチ。朝早くとりついたパー
ティが3パーティ程前にいる。遅くきてちょうどよかったわけだ。女性のまじったパーティは時間
切れか途中でおりてくる。フラットソールをはいている人もいる。つるべで登り2時間ほどで手前
の岩塔ピークへ。4時過ぎ。マリア像のたつ数メートル高いとなりの耳へは、大きなギャップがあ
るので割愛。天気はまずまず。風が強い。
下山。ナイフリッッジのクライミングダウンは怖い。目がくらむ。
数回の懸垂下降にかかる。前のイギリス人の二人組が懸垂ロープをかしてくれるという。ぼくらは
8ミリ50メートル1本だけだからありがたく借りる。食堂まで一時間ほどでくだり、さらに危な
っかしいガラ場をくだりトレノ小屋へはいったのは7時すぎだった。高所の活動でつかれました。
ぼくは日本出発前に富士山頂でキャンプしたのが効いたのか高山病の気配はなし。
6-30
昨日は岩壁、今日は氷壁というわけで、小屋のとなり、ツールロンドの北壁をのぼる予定だったが
、天気がわるく次回もちこし。トレノ小屋ミディ間のロープウエイが動かず、結局イタリア側にお
りてクールマイユール経由モンブラントンネルでシャモニ帰着。
7-1.2.3
天気ぱっとせず。レンタカーでジュネーブに買いだしにいき帰路アネシーのドライブを楽しんだり
、ピラミッドの小屋からボゾン氷河におりアイスクライミングのトレーニングしたり、ガイヤンの
岩場にいったりしてすごす。
3日ほど天気がわるく、2日晴れるという周期のようだ。アルプスでは100パーセントの好転でない
と山にはのぼらないらしい。山に雲がかかっていればそこは雪や吹雪なのだから。そんな半端な日
は下でなんやかんややって過ごすのがよい。
7-4
朝からよい天気。モンブラン、ドリュなどが美しい。グランドジョラスのノーマルルートへ向かう
。10時のバスでクールマイユールへ。12時にプランプリシュの村からボナッティ小屋へあがる。き
れいなハイキングコースを3時間。標高差1200メートル。グランドジョラス小屋ともいわれる岩場
の小屋へ到着。小屋はあいていたが営業はしていない。黒ちゃんが予約電話しても出なかったわけ
だ。7時過ぎに就寝。3グループ10人ほどが同宿していて明日ジョラスを目指すという。
7-5
早い人は夜中の2時ころ出発していった。僕らは4時半出でいちばん遅い。2800メートルの小屋か
ら4200メートルまで標高差は1400メートル。ヘッドランプでのぼる。氷河をつめ、岩稜にとりつく
ころには明るくなっていた。天気はよい。黒ちゃんが高山病くさい。氷河上はロープをだすが、岩
ではソロでのぼる。朝いちで出かけた数人のイタリア人が戻ってくる。ルートがわからなかったら
しい。
ウインパー稜の1ピッチ目でビレイするが、そのあと、各自ソロでウインパーピークに直接つきあげる
ウインパー稜をのぼる。前回黒ちゃんがクロー稜をのぼっているから別ルートにしたかったから。クロ
ー峰とウインパー峰にコルに直接つきあげようとしていた二人組みフランス人は300メートルほど滑
落してしまった。ケガはないようだ。1時前にウインパーピーク着、4200メートルだから息がきれる。
黒ちゃんは調子が悪いようだ。主峰にトラバースしてクロー稜をくだろうとするがガスがでて
きてツバメ山稜を下ってしまう。眼下にメールドグラスが見えてきて、これはおかしい、というこ
とになり、登りかえす。目が眩む。
さらに下部でホワイトアウト状態になり1時間ほどウロウロする。数回クレバスに足を突っ込んだか
ら、氷河上ではアンザイレンはどうしても必要なことらしい。トラックを発見して無事小屋に戻る。
9時半。なんと17時間行動。水とパンを食べ、翌日6時まで眠る。
7-6
小屋からフィレの谷にくだりクールマイユール経由バスでシャモニ帰着。
7-7.8.9
天気さえず。赤い針峰のフレジェール側のクライミングルート、ランデックスを、矢木、中川グル
ープとのぼったりして過ごす。滝谷のような、チンネ左稜線のような、の感想あり。
韓国グループと酒盛りしたり、レンタカーでスイス経由セントバーナード峠越えアオスタ観光など
も。
7-10
早朝テント撤収。フィアットのプントでジュネーブへむかう。このレンタカーを正しく返却するた
めに国境と空港内を右往左往。まいりました。7月11日予定どおり帰国。
岩と雪の夢のような殿堂、シャモニ。ここのクライミングはやはりスケールが大きい。山全体と正面
から向かい合うという感じだ。山での総合的な力が必要とされる(とはいえ、ロープウエイなどが縦
横無尽でいきなり3、4000メートル近くに行けるのはすごい魅力だ)。岩稜や雪稜、そこそこのルー
トをソロで登り、クライミングダウンするのだから自信がないとできない、自信があってもこわい(
フリーはむずいがアルパインはやばい!)。
氷河歩きもたいへんだ。クレバスに足をつっこんでしまうのは日常茶飯事なのだから(前回黒ちゃん
が一ヵ月全部ソロで登ったのはさすが)クライミングは雪と岩の世界でやってこそ本物だ、とあらた
めて思った。小川山などのクライミングが子供だましに見えないこともない。フリークライミングと
いうのはクライミングのほんの一角なのだ、ということを思う。
 それにしても、アルプスの山といえば日本人はモンブラン登山ばかりの近ごろ、かつての盛り上がりを
思うと極端すぎる。日本のクライマーはアルプスを忘れてしまったのかもしれないね(というよりもかつ
ての先鋭クライミングがプツンしてから以降の市民クライマーはアルプスの楽しさをしらないのかも)。
アルプスには、夏だというのに!それこそロック&スノーのルートが無限にひろがっているのに。
 ヒマラヤは一ヵ月で一ルート、アルプスは一日一本、お手軽で快適、通えるエリアです。

6.21.1998

ヨセミテとスミス

初夏のヨセミテとスミス、ショート・ツアー
西海岸10日の旅
CATHEDRAL ROCK
 
メンバー:トミィ、ぴか、チュウ(この二人は切り離して呼ぶこと)
期間:1998/6/21から7/2

6/21成田発、同じ日の午前11時にはレンタカーでシスコのダウンタウンにい
た。
セーフウェイとREIで買い物をしてからマーセド経由でヨセミテを目指す。マリ
ポサ泊(マリポサ・ロッジ、快調な屋外のジャグジーバス付きで締めて$71)。
翌朝7:30にモーテルを出発。8:30にサニーサイド着、レジストレーション
をすます。入園料も$20にあがっていたが、キャンプ代も$1あがって$4(一
人一晩)だ。
テントを張ってから、GPエプロン西面へ出かける。強烈な日差しで、壁が鋼鉄の
ように輝いていた。5.7,5.6,5.6と3ピッチのTheGrack(★★
★)、さらに基部を辿ってCenterのHenlyDaly5.7,5.82P
(★★★)をルンルンで登った。
翌日、8時にサニーサイドを出て、ミドル・カテドラルのイーストバットレス(1
1p、5.10c★★★)に取り付く。ぴか、チュウがつるべで交代しトミィが終
始ミドルでフォローするスタイル。荷物はサブザック1つで、水3L、キャップラ
イト1、ウィンド・ブレーカーとスニーカー各自用、クリフバーを入れてあり、ラ
ストが背負って登るかときには、ロープで引き上げた。10cのポイントはボルト
に守られたマイクロエッジのフェースで、ぴかがリードしたがワンテン入った。
上部はピッチ間隔が判然としない。9Pか10P目のテラスからから上がガクッと
寝始めた。日は傾き時刻は6時。上へ抜けた場合、下降路で暗くなると思われたの
で下降することにした。同ルートに沿って50mロープ(ダブル)でフルレングス
の懸垂6回で取り付きに戻れた。サニーサイド21:00着。まだ明るくて助かる
。
翌、23日は寝坊する。午前中は、ツオラミグローブでセコイヤ見学。午後は、ビ
ジターセンターやアワニーで買い物。夕方、スワンスラブで5.9から10+の短
いクラックを登って遊んだ。
24日は最終日のクッキーに備えて、ショートで快適なルートをのんびり登ること
にした。まず、サニーサイド裏手のファイブオープンブックスで5.8,5.7,
5.93Pのコミットメント(★★)、3P目のルーフは豪快で、日本にあれば、
星三つはかたい。
次に、チャーチボールエリアで、ビッショップテラス(5.8、2P、★★★)、
チャーチボール・レイバック(5.8、★)を登った。
25日は最終日、ぴか念願のクッキーへ。気合い充分でアウターリミッツ1P目(
10b★★★)をオンサイト。チュウはキャッチー(10d、★★★)のRPを狙
ったが、上部で敗退。2フォールで抜けた昨年よりも悪い結果だ。
26日早朝サニーサイドを発ってバークレーに昼頃着。「Marmotto」で買
い物してから、サニーベイルの友達の家へ。
27日、朝一のフライトでポートランドへ。今度のレンタカーは小型でニッサン。
スミスへ向かう途中Mt.hoodに寄り道。2合目から上はまだ一面雪で日本人
のボーダーが大勢いた。
スミスには夕方5時頃着。ビバークエリアにレジストレーション(ただし、自己申
告)して、テントを張ってから、すぐ近くのピクニックエリアで食事をとる。キャ
ンプでは火を使ってはいけないことになっているからだ。
翌日9時にまず、モーニンググローリーWallへ。駐車場から5分下って川を渡
れば、延々と壁が続いている。モーニング・・・は比較的近い壁で、3つ星が固ま
っている。
まず、トミィが5.8のHop・On・Pop(★★★)、FiveGallon
Pockets(★★★)をオンサイト。特に後者は、「クラミング」誌でDon
’tMissとコメントされていたすばらしいルート。ぴかが、Gumby(10
b、★★★)、チュウはLightOnThePath(10a、★★★)をそれ
ぞれオンサイトした。
ランチを食べに一度車に戻って、日陰で昼寝。夕方4時頃から再び壁に向かう。
午後の部はクリスチャン・ブラザースで、ぴかが10b★★のDoubleTro
ubleを2テンで登
ったあと、チュウがIrreverence(10a、★★★)をオンサイト、ト
ミィがレベレーシ
ョンズ5.9★★★をやはりオンサイトした。
すぐ隣の、ダイヒードラルで、ぴかが有名なtoBoltor...やChain
Reactionに挟まれたWeddingDay(10、★★★)を2テンで抜
け、トミィがLichenIt(5.7、★★★)をオンサイト。
夜9時まで登ってもまだ充分明るいが、ものすごい日差しなので、脱水が怖い。ぬ
めりの影響するルートが多いのでこの時期はベストとはいえない。プロテクション
もボルトだからといって安易な気持ちで取り付くと大変。どのルートも1本目が遠
くて、その前で落ちるとただではすみそうもないし、しかもその手前ですでにルー
ト・グレードに近いムーブが出現することも珍しくない(スティック・クリップあ
り、ってトポに書いてあるし、使うひとも見ました)。
翌29日は、午前中しか登れないので、例外的にボルトルート星4つ(通常4つ星
はナチュプロのクラッシックにつけられている)のScreamingYello
wZonkers10bのある西面のメサベルデWallへ。
ぴかがこの有名ルートを一発で落とした後、チュウが隣の三星???10aを登り
、東面に戻って、トミィがBunnyFace(5.8、★★★)
をオンサイト、チュウがGumbyを登って(91年に登っている)、隣のZEB
RAダイレクト(11a、★★★)の遠い1本目にプリ・クリップしてぴかがリー
ド、おしくもワンフォールし、チュウはそこまでノーフォールでいったものの足先
にひどい痛みを感じて、ランナウトの3mを残してあきらめ、ここでおしまい。
Redmondのアランワッツおすすめ中華レストランでうまい(かな?)食事を
してから、この旅で初めての悪天、それにしても極端な悪天で、視界のないひどい
嵐のなかをSalemへ。6モーテル($48)から翌朝1時間でポートランド。
フライトは、シアトルで国際線に乗り換えて、翌7/2成田に着き、旅は終わった
。

参考までに、3人のクライミング・レベル。この1年で楽しんでいるグレードは次
の通りです。ゲレンデは小川、幕岩、城山、城ケ崎など(月平均2から4日)。ジ
ムはBigRock、Pump(週一目標)。

トミィ(30代前半、旅館業、主婦):5.8から10-まで
ぴか(30代、パタゴニア渋谷店長、山岳部出):10から11まで
チュウ(50、技術系、社員0の会社経営、山岳会出):10-から11-まで
   注:クラックルートは2から3ランク下です。

おしまい。

6.06.1998

YOSEMITEのマルチピッチ

YOSEMITEのマルチピッチクライミング
数ピッチのマルチでもなめてはイカン
 
go climb a rock!
 
1998.6.6-15
member
kurokawa
haneda osamu
ito kisya



6月6日
チケットの取り違いで、前日の便でサンフランシスコに入った羽やんと、無事空港で合流
。レンタカーを借りて、一日ドライブの練習をしていたとか。さっそくヨセミテ方面にむ
かう。バークレーのREIで買い物して、南へ。ソノラで観光してデイズインモテルに1
泊。

7日
シエラの空はどんよりとしている。12時、キャンプ4にチェックイン。第一区画にテント
を張ってラーメンをつくり、3時ころからエプロンへ。
5.6の三ツ星GRACK 3Pを三人でのぼる。曇り空だが濡れていないので快適だった。
8日
パッとしない天気だがときどき晴れ間がのぞく。クロちゃんとROYAL ARCHESのSERENITY CRA
CK AREA へ。SERENITY CRACK10dからson of yesterdayにつないでマルチピッチを楽しもう
という魂胆だったが、のんびり出発になってしまい、順番待ちもあって、登りだしたのが昼
過ぎ。1p目がピンスカーの悪い10aで、僕がリード、ギア不足でクライミングダウンして登り
返すなどして、2p目も10a、クロちゃんリードで、僕がフォローしたところで、10dを前に
今日はここまで。ということになったのだった。二人ともオンサイトで充実はしていました。
夜クマがでて隣の車のガラスがやぶられたりの事件あり。

9日 羽やんが、名門ヨセミテクライミングスクールに入るというのでその見学と取材。
スワンスラブでの講習会で、羽やんもクロちゃんもためになったとか。
ぼくはそのあたりのボルダーでクライミング。スペイン?の名クライマーがミッドナイトラ
イトニングを登るのを撮影した。
この日はたいへんよい天気でした。夜クマ出現するも撃退。
10日 もう一本トライと気合いが入っていましたがこの日はときどき小雨。レストの一日。

11日 今朝も冴えない天気。サンフランシスコへ戻る前にREED'S PINACLEを偵察、とでかける。
なんとか乾いているようなので準備してとりつく。とりつきまでのクラス3もわるく、
羽やんは取り付きで撮影。5.9のserenity crack directに黒ちゃんリードでとりつく。40m垂壁
に圧倒されるがワンテンでぬける。フォローのぼくはあらゆる汚い手段をつかってぬける。
テントをたたんでサンフランシスコへ。ミルブレアの香港楼でうまい食事をとりました。

12日 クろちゃんを空港まで送って、町にもどる。黒ちゃんは日本に一日いてシャモ
ニへ向かうとか。忙しいひとだ。ミュアウッズ公園を散歩したりしてミルブレアの王将で寿
司ざんまい。
13日 午後のUA機利用。14日、日曜日帰国、の予定がダブルブッキングで積み残され、
泣く泣くミルブレアに戻るはめになるとは予想外の展開。翌日ロザンジェルスに飛び
慰謝料300ドルの小切手を手にビジネスクラスで15日帰国。もうかったような損したような。
ヨセミテで今回みた動物。リス、クマ、アライグマ、コヨーテ、シカ。