9.24.2022

前飛龍山・奥多摩 ハンワグのことも

時間がかかりました。最後に雨…。

member イトウフミヒロ 記

date 2022年9月22日木曜日

前飛龍手前から熊倉尾根

あまり展望はない前飛龍



超大型台風14号のすぐあと

天気予報はいまいちですがでかけてみました。

飛龍山(奥秩父から奥多摩へ続く主脈にある)に登るつもりだったのですが時間切れというか、体力不足、思ったよりも長丁場で、届きませんでした。飛龍山の標高は2000mを越えていて雲取山より高いとは知りませんでした。


前日の昼過ぎ

に出て中央道上野原ICけいゆ、鶴川沿いにゆずりはら道をいきます。甲武国境の笹尾根などハイキングするときに利用するきれいな田舎道です。くねくねで、山梨県道18号標識があります。鶴峠を越えて小菅道の駅に日が暮れるころ着、車泊。


翌朝寝過ごして6時半に道の駅スタート。丹波山道の駅までは30分ほど。モーレツなくねくね道です。初めて。


雑木林きれい

前飛龍あたりは岩場がつづきます

秋もまぢかでしょう

もたもたしてたので雨になりました


スタート

丹波山道の駅から歩きはじめたのは7時。ちょっと遅いかな。山道までは舗装路を30分ほど歩きます。

そのあとはスギ植林の森から広葉樹の森をジグザグにえんえんと登ります。


嵐のあとなので細枝や緑の葉っぱがどっさり落ちていました。どんぐりや栗の実も山のよう。ときどきガスが湧いてファンタスティック。日はさしませんが雲海や遠くの山も見えます。

サオウラ(さおら)峠の四差路についたのは10時前。車からは標高差800mの急な登りでした。


熊倉尾根は

雑木林の広い尾根で起伏もゆったり、熊倉山着11時。いろんなきのこが展覧会のように出ています。このあたりクマも出るそうです。

なんだか疲れてきましたががんばります。


前飛龍山の

手前は急に岩場まじりの急坂となっていままでと様子が違っています。

結局12時半過ぎに前飛龍山着。

ここまでヤマケイのコースタイムでは4時間半のはず。1時間遅れています。飛龍山まではあと1時間以上かかるでしょう、ということで今日はここまでとします。ここまで誰にも会いません、ということは下りでもだれにも会わないでしょう。


下山

来た道を戻りますが、サオウラ峠からは急坂で膝も痛くなって時間がかかりました。

そのうち、あやしい空模様になって雨になりました。

けっきょく5時に車に戻りました。行動時間は想定外の10時間。結局だれにも会うことのない珍しい日になりました。


翌日、

早起きして小菅けいゆ国道139号、松姫トンネル、猿橋、談合坂ICで帰京。3連休初日で下りは渋滞していました。8時には高井戸IC。

天気はまずまずでした

きのこはいっぱい

栗がたくさんころがってきました

・付録1

飛龍山標高2077mと丹波山道の駅の単純標高差は1300mほどですが、ヤマレコなどの記録をみると、実質標高差は1700mほどあるらしい。日帰りにはけっこうハードな山でしょう。

八ヶ岳の権現岳標高2715mを天女山パーキングから登ると、単純標高差は1200mです。三ツ頭の凸凹を計算にいれても実質1300mくらいだと思いますので飛龍山のほどがわかります。とはいえヤマレコなどのレポートみると若者は平気でがんがん登っていますが…。


・付録2

ハンス・ワグナーの登山靴にはいつも感心 Hanwag はHans wagner


10年ほど前(調査中)に神田のさかいやスポーツで買ったハンワグの登山靴をいまでも使っています。

ビブラム底で、要所は裏出し革で、本体はケブラー地かなにか化繊を使っていて軽量化しています。

カカトやつま先はプラスティックではなく多分丈夫なゴムで補強されています。


当時4〜5万したものですが、アイゼンが付けられませんから冬も使える本格的な登山靴ではなく、(アルプスの)軽登山、トレッキング用のようです。


今日天気がよいので、ミンク油があったので皮革部分に塗ってみました。10年ぶりに手入れしたわけですが、皮革はまだまだ元気でした。内蔵のゴアテックスブーティェは多分弱っていて(破れていて)、今回の飛龍山行の雨では靴下まで濡れてしまいましたので役たたずになっているようです。


実はさかいやスポーツで、購入後4〜5年たったころビブラム底が減ったので張り替えています。2代目の靴底ですが剥がれるような気配はまったくなく、かなり減ってきましたが、日本の土の山を歩く分にはまだ大丈夫だと想像しています。


最近はハイキングすることが多くて短靴のトレッキングシューズ(HOKAなど)も使っていますが、登山となると足首までサポートするこのハンワグが安心です。

新しい靴をとも思うのですが、まだイケルかんじなのです。なによりも履きごこちがいいので気にいっています。

下の写真が、いまやたらにほめちぎったハンワグの靴です。

かりに、月に1回山へ行ったとして10年で120回、そのくらい活躍してくれたのではないでしょうか。いやはや頑丈ですね。

スタート前、この靴をはくときいつも、すごい靴だな、と思います。それを忘れないように書きつけました。

履きごこちといえば、軽量で知られるのHOKAの短靴と比べても、それほど気にならないくらい軽いのがすごいです(片方で600gほど)。10年以上まえの製品ですが改良の余地がないほど完成されているとおもいました。では最新のものはどんなんだろう、とやはりそれも気になります。近々さかいやスポーツに行ってみましょう



ハンスワグナーはドイツの登山靴メーカーです。100年くらい歴史があるとか。あのローバも同じルーツで兄弟で同じ村で作っていたとか、聞いたことがあります。ローバもお高いですが、多分同じくらい完成されているのだと想像します

スイスやイタリア、フランスなどアルプスがそびえる国には優秀な登山靴ブランドがありますが、アルプスを歩くことを基本に作られた靴は伝統もあってよくできていますね。


調査結果

2012年9月の箱根外輪山三国山ハイキングのレポートでハンワグを履いているのを発見しました。

https://itokisya.blogspot.com/2012/09/blog-post_15.html



9.12.2022

北八ヶ岳三ツ岳

おすすめできないハイキングコースですが、面白い

2022年9月10日 土曜日 はれくもり

member  kei itokisya


高山らしい景色。穴ぼこがあちこちあって危険



白樺湖はんのホテルをのんびり出て、ビーナスラインですずらん峠を越えます。峠も竜源橋のパーキングも車がいっぱいです。蓼科山登山の人だとおもいます。今日は土曜日でした。


北八つロープウエー(ピラタスロープウエー)は8時40分が始発らしい。9時発にのれました。

観光の人と横岳に行く人か、20人くらい。


登山届けをだしてすぐにスタート。3月にスキーで縞枯山荘けいゆ雨池山に登っています。今日は坪庭から三つ岳経由で雨池山を回ることにしました。


坪庭からひと上りして八ヶ岳の主稜線にでたところが横岳と三つ岳・雨池山の分岐です。

横岳への道から分かれた途端にいきなり岩ごろごろの悪路になりました。

巨大な火山岩がごろごろしていて、道はその間を縫ったり、岩の頭から頭へ飛び移ったりします。大岩を登ってすぐ下ってまた次の大岩を登るというくりかえしです。


三つ岳は三つのピークがあって3峰、2峰、1峰と続きます。そういえば3月に反対まわりから眺めたときギザギザの岩場が見えて、次のたのしみにしておこうともどったのでした。



三ツ岳を超えるのに2時間近くかかりました。土曜日とあって十人くらいのハイカーと行き違いましたがみんな悪路に閉口している(たのしんでいる?)ようでした。八ヶ岳最難関の縦走路といえるかもしれません。南の赤岳や横岳、権現岳などはなんともありませんが、トムラウシのロックガーデンをしのぐ歩きにくい道だとおもいました。


12時前には雨池山に着きました。のんびり下ってロープウエー駅にもどったのが1時ころ。

4時間ほどのハイキングでした。

プール平の温泉600円に入って、諏訪南ICから中央道、休日の渋滞が始まる時間でしたが、高井戸IC経由、暗くなるまえに帰宅できました。


・ネットでみた三ツ岳縦走のレポート。無雪期で天気もよくて詳しい。

https://montrek55.com/kitayokodake_02/




諏訪湖のカヤック

モンベルクラブのツアー参加

2022年9月9日 金曜日 はれくもり

member  kei itokisya

菱です


早起きして中央道。南アルプスや八ヶ岳をながめながらドライブして諏訪インターまで。

諏訪湖畔べにやのマリーナ9時前につきました。モンベルが諏訪湖でカヤックツアーしているというのでなんかいい写真でも撮れるかなと参加しました。ほかにひとり参加の男性のふたり。ツアーとは別に地元のVIPも今朝はカヌー遊びにきているようです。

若者はガイドの人くらいで、みんな年寄りです。

外注の諏訪湖カヌー組のコヤマさんのガイドで、湖のあちこちを舟行しました。コヤマさんは若くて、地元とはいえ神奈川からの移住者だそうです。

雲が流れ湖面に映えています。水草のキンギョ草やヒシが繁茂していて緑色がきれいです。ヒシは菱で葉もあり実もあります。初めて見たような気がします。菱形、鉄菱、三菱などのことを教わりました。百聞は一見、で今回いちばんの勉強でした。


安定感ありすぎのカヤック(パーセプション)

後半は風が強くなって波もたちシーカヤックのようでした。昼過ぎに終了。

外遊びの半日ツアーはふつう、2時間ぐらいのものですが、このツアーは3時間半で長いです。モンベルクラブの本気指向が強いようです。おかげでカヌーを堪能しましたが腕がつかれました。


自分ごとですが高校は上諏訪にありましたので、諏訪湖は泳いだり、スケートしたことがなんどかあります。湖畔一周マラソンもしたはず。いまは昔の話になりました。


昼のそば屋に寄ってから、上諏訪駅のまわりをぐるり歩いてみました。道筋はむかしのママでしたが町並みなどはあらかた変わっていました。映画館などはあとかたもないようです(下記ホームページ、消えた映画館の記憶、がおもしろい)。勝手ですが、なんだかつまらない町になってしまったような気がしました。


お城につづく並木通りは老木がならんで幅広く昔の雰囲気がありました。湖明館通りには昭和の気分が残っているようでした。


時間があったので諏訪の浮城高島城を初めて(たぶん)訪ねました。敷地(本丸)は広い庭園公園になっていて一角に天守閣が建てられていました。江戸の時代の敷地はもっと広くて丸ごとにびっしり屋敷や蔵などがあったようですが、明治になってすべて棄却され、さらに戦後の整備で本丸のみ庭園として新造されたとか。おかげで本丸には遺構などはあまりなくて、写真を撮るにはとてもよい景色になっていました。


上川の通勤バイパスで茅野へ、ビーナスライン経由で白樺湖へあがりました。いつものパイプの煙にイン。いつもと違うのは太郎がいないことかな。山はすっかり雲の中、湖だけが静かでした。


●長野県の映画館 (消えた映画館の記憶 全国版より)

上諏訪、茅野など、詳細でおどろきました。

上諏訪には戦後5館、ひなの茅野でも3館あった。名前はだいたい知っていていくつか入ったおぼえあります。

https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%C4%B9%CC%EE%B8%A9%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB#content_10_49





8.26.2022

田代山 南会津

田中澄江さんの花の百名山だった

2022年8月22〜24日

member matukura haneda itokisya 

田代山山頂湿原

ほんとうにプリンのかたちしてる


近くの前澤集落 ポスターから


8月23日 火曜日

前日午後にマツクラ車で那須ハネダ亭へ。ベランダでBBQしながら山のプランを相談しました。

燧、会津駒などの案もありましたが気分と天気を考えて田代山と決めました。


朝6時に出て、山王峠、中山峠をこえて湯の花温泉。18kmもあるというダート林道を四輪駆動のハネダ車で快走して田代山登山口(猿倉)についたのが8時ころ。2台車がありました。天気はまずまずですがやや蒸し暑いような朝。


よく整備された登山道をのんびり行きます。広葉樹の森の中、はじめから急な山道がえんえんと続きます。日が射すとあつい。森の中はオオカメノキやゴゼンタチバナ、ドウダンなど。1時間半ほどで小田代にでてあたりが開けます。


さらに2,3段の急坂がつづき、30分ほどでいきなり山頂湿原にでました。登山口からの標高差は600mくらいでしょうか。1900m越えている天空の庭園です。広いのですが夏枯れの景色でキンコウカやえぞリンドウなどが目立ちます。低木のツガやモミもあります。ハイマツもあるようです。ガスがでていて肌さむいほど。遠景はみえませんがのんびり歩いているうちに青空がのぞきはじめました。





ファミリハイカーがひとくみ、あとは帝釈山へ向かうソロの人もいるようです。

湿原には細い木道がしかれた周遊路があって、左まわりで歩くのがルールのよう。尾瀬や会津駒にくらべれば格段に静かです。田代山はプリンのような形をした山で周囲は絶壁、山頂部が広い湿原というめずらしい山容だとしりました。古いカルデラが長年の積雪で湿原に変わったのでしょうか。


以前いちど登っているはずですがその山行の印象はうすれているようです。古い記憶はどんどん消えていくものだなと思いました。1時間ちかくのんびりしてから下山しました。車にもどったのが1時過ぎ。5時間ほどのハイキングでした。


木賊温泉へよって川ぷっちの岩湯に入ってみました。秘湯感があります。


小さな峠をこえて湯の花温泉に下り、ふじやにイン。曲がり屋の造りで民宿らしい宿でした。この村にも温泉が数か所あり宿の敷地内にある弘法湯に入ってみました。

檜枝岐や小豆温泉などよりもひなびていていいかんじだと思いました。


今はソバの花がいっせいに咲くあかるい季節ですが冬はどんなかな。

湯の花、木賊、檜枝岐、南郷、舘岩、伊南、、。江戸や明治の時代、この多雪地帯でどんなふうに冬にそなえ、雪ごもりをしていたのか、想像がふくらむところです。十分な食料や燃料もあって、温泉まであって、曲がり屋のいろりばた、そこは天国だったのかもしれません。

宿のおばさんあれこれお話してくれました。ところでこの家には100歳超えるおばあさんがいて元気にしていました。


上 木賊温泉岩風呂 下 田代山のパイオニア ふじや


翌日は共同湯で朝風呂、とりたて野菜の朝食をいただいたあとおわかれ。帰り道は、曲がり屋集落の前澤によりました。

たかつえスキー場あたりのソバ畑が撮影ポイントと聞いて寄ってみました。初めてみる広くてきれいな風景でした。舘岩川の谷をはさんで田代山や日光、尾瀬、会津駒などが見えるはずですが夏雲が湧いていてはっきりしませんでした。


那須ケ原のさくらラーメンで道草してからハネダさんとわかれ、まっちゃんの高級車で東北道にはいりました。

下に舘岩の観光情報。田代山のなりたちや開山のはなしなどがのっている。ふじやの大山爺さんが開拓者だとおばさんも言っていました。

http://tateiwa-tic.jp/tashiro/%E7%94%B0%E4%BB%A3%E5%B1%B1%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%A1/





上記2点ネットから拝借。どちらもたかつえスキー場トップから。ここは七ヶ岳の登山口




8.12.2022

甲斐犬太郎RIP

長生き太郎、眠るようにいった。甲斐犬すごい
太郎 2017年富士山村山古道 

●2022年8月11日 甲斐犬太郎どこかへワープ 

 朝6時前に太郎を庭先にねかせてブラシをかけた。カラダが伸び切っていて意識なし。タバコを吸ってながめていたら、このところ続いていたピクピク(痙攣)がはたと止まって、しばらくすると呼吸がなくなったようだった。

昨日あたりからぐったりしてて、寝ているというよりもほとんど意識がなかった。痛くも苦しくもなさそうだったが、いよいよ今日明日の命だなと思っていたので驚くことはなかった。 

軽くなったカラダを業者に渡したら昼には骨になって帰ってきた。庭の隅にかけらでもうめておこうかと思う。
17年近くいい相棒だったな、太郎。 

 甲斐犬の太郎、2005年9月22日相模原愛川の甲斐犬舎の生まれ。三つ子の兄弟。
友人高城さんがそのうち一匹をひきとり陸と名付けた。もう一匹いるよ、と紹介されてもらってきたのが太郎。3ヶ月の子犬だった。柴犬クロが14歳でなくなったあとだったのでちょうどいいかな、というなりゆきだった。 

 柴犬よりもひとまわり大きく犬種もわりあいレアなのでどうかなという気分もあったのだけれど杞憂でした。 陸と太郎は双生児のように顔かたちがそっくり、なのが笑えた。

 太郎とは山へよく登った。雪山や山スキーにも行った。残雪の富士山頂にも2回登っている。日本百名山には15山くらい登っているはず。いい山の連れだった。パラグライダーの日はけっこう人気ものだったかな。山中湖の山小屋あたりではわがもの顔に歩きまわっていたな。

あれほど野山を駆けずり回ったのに怪我もなく事故もなかったのは幸運児だったんだろう。
2012年朝霧高原中島牧場
●太郎の老衰の経過。 

 この数ヶ月犬が老衰するのをじっくり観察できた。15kgの体重が最後は10kgまでになっていたと思う。 
兄弟の陸は去年の今頃ワープした。15歳、16歳まで元気に生きられるのだから甲斐犬は優秀な犬種だと思います。 

犬の一生は人間の5倍か6倍のスピードで終わるらしい。人は太郎の数倍の時間をかけておなじように老衰していくのかな、とじっくり勉強できた思いです。 

いやはや、これからは犬のいない人生か、というのがいまの思うところかな。
2021年10月清里高原で 。年とった
経過 

2022年3月ころ 太郎16歳半 後ろ足が衰えて歩くのが遅くなり坂道など大変そうになった。朝晩の散歩コースを2kmから1kmほどに短くする。 

6月ころ 太郎16歳9ヶ月 よろよろするのが目立つので散歩コースをさらに短縮。そのうち家の前をいったりきたりがせいいっぱいになる。 

7 月下旬になると 食欲が落ち、歩行困難。そのうち寝たきりになる。たまに発作けいれんあり。くすり。 

8月。一週間前には、寝たきり。食事取れない。ほとんどすやすや寝ている。たまに発作痙攣あり。くすり。 

4日前からはスポイトで砂糖水を補給。
1日前 ほとんど意識不明。水もごくんできない。 

8月11日朝 呼吸止まる。
心臓がとくに強かったのか、わずかな砂糖水だけで4〜5日延命したような気がする。 

RIP.

 ●いくつもある太郎のyoutube動画
 お気に入り2本 2歳のころ山小屋で、もうひとつ6歳ころ霧ヶ峰





●太郎春秋  
太郎の若い時のブログ1 2005〜2012

  若い時のブログ2 20012〜2015






●furoku

・太郎が登った百名山 全部日帰り

富士山頂 6月に2回
八ヶ岳赤岳ほか
霧ヶ峰何度かいった
空木岳
丹沢 ヒルケ岳大山ほかあちこち
金峰山帰りまっくら
雲取山三条の湯経由帰りまっくら
甲武信岳?調査中
大菩薩峠
皇海山
浅間山(黒斑山)小浅間も
那須三本槍
東吾妻山鎌池
赤城山地蔵岳
天城山 万三郎周回

●太郎の晩年のトリップの記録
 クルマにのって出かけるのが好き 

2019年
11月 小浅間山から草津 元気
 鐘ヶ嶽(丹沢)後ろ足異変
 松茸山(丹沢)元気
 (スキートリップなど略)
2020年
 (スキートリップなど略)
3月 梅の木尾根(丹沢)元気
  烏場山・鴨川(房総)元気
4月 ミツバ岳(丹沢)元気
  黍殻山(丹沢)元気
6月 三つ石真鶴(湯河原)夏バテ
8月 鉄砲の木頭山・箱根 夏バテ
9月 富士山須山登山道 元気
10月 赤城地蔵岳・谷川岳  まずまず
12月 荒崎・観音崎(三浦)散歩

2021年
1月 ふじてんスキー 散歩
3月 ふじてんスキー 散歩
6月 箱根外輪山 観光
5月 那須中大倉尾根・足尾銅山 散歩
   弘法山(丹沢)箱根 まずまず
8月 神津牧場・白樺湖 散歩
10月 清里・軽井沢・長瀞 散歩

2022年 
2月 御宿・九十九里(房総)散歩 最後のお出かけ
8月 ワープ

6.01.2022

北田さんの海外スキー旅

●北田さん追悼2 伊藤文博

Tajニュース(日本テレマークスキー協会報)の依頼で以下書きました。2022年3月。公開6月1日。北田さんのビジネストリップ以外の私の知るかぎりの海外スキー旅です。テレマーク時代の旅にはどれも一緒に行きました。以下本文。

北田さんの海外スキー旅

盛岡生まれを誇りにしていた北田さんですが育ったのは浦和です。山へは兄紘一さんと中学生から、スキーは18歳からといいますからやや遅咲きかもしれません。

その後、北田兄弟のモーレツな雪山修行があったようです。国内の雪山を総なめ?にしたかのような北田さんですが、ここでは海外の山行のこと。


1979年に高田光政氏らとアルプスオートルート(スイス側)、82年にはフランスルートを走破しています。間の80年には、なんとマッキンリーを滑っています。成蹊大チーム(磯野剛太隊長)でメンバー全員登頂、そして全員滑降という輝いている記録です。このころイケイケの北田さんですがカリブークラブを結成したのもこの時期。北田さんらしく、やたらに緩いしばりの集まりです。以上はアルペンスキー(山スキー)での記録です。


82年に突然テレマークに開眼します。以降アルペンスキーにもどることはありませんでした。しばらくTAJの活動で忙しかったのですが、90年代からは本場アメリカでのテレマーク修行にでかけます。


92年4月ユタ州ワサッチ山脈。93〜95年、3年連続でコロラドロッキーの探索、テンスマウンテンルート完走。

97年4月にはカリフォルニア州のシエラネバダ山脈へ。翌年にそなえてソリとテント泊のツアーでした。

98年4月、念願のシエラハイルート完走。日本人初記録。

2000年3月ワイオミング州グランドティトンツアー。


以上、すべてメンバーはカリブークラブとその仲間、全員テレマークで参加しています。企画はすべて北田さん。よい頭脳があってこその成果といえるでしょう。

とくに98年のツアーは避難小屋もエスケープルートもないシエラの高山を5日間で抜けるというスピード山行でした。

99年の「rock & snow」春号のレポートで北田さんはこう結んでいます。

「シエラハイルート。シエラバックカントリーの最終目標といわれるコースを、天候に恵まれ、僕たちはまんまと成功した!」

テレマークの貴公子、北田さんの品のいい笑顔がうかんでくるようです。

伊藤文博

追加1

スキーや山を大いに語った北田さんですがそれ以外のことについては静かな人でした。あまりよそから見えない好き嫌いがあって、食事やクルマ、そしてふだんの振る舞い、すべてにこだわりのある人のようでした。どれもが上品志向です。読書家であったことは彼の文章をみれば自明ですね。静かなインテリ。そんなあんなが人をひきつけたのでしょう。


追加2

あるとき山でサングラスをいただきました。スミスの替えレンズ付きのもので今も愛用しています。「マトリックス」ぽいデザインで「オレには似合わないから」と言っていましたが、人にやたらモノをあげていたら成り立たない商売をしていたはずなので感謝しております。ありがとう北田さん!

伊藤文博

Tajニュース2022年春号掲載。追加分は編集からの求めで補いました。

https://www.ski-taj.org/news/data/TAJnews2022.pdf

ニュース2022年春号は以下でみられます。

日本テレマークスキー協会

https://www.ski-taj.org/



 

5.18.2022

松山、今治再訪、来島海峡大島

四国の山旅4

メンバー 伊藤文博 記

5月11−13日 木金土曜日





5月11日 木曜日

道の駅みまをのんびりでて西予市へ。海岸線を走り小さな漁港などを撮影して須崎海岸を訪ねます。岬の観音様と展望が名物とのことですが、海岸に下る道は立入禁止になっていました。

大洲はバイパスして松山市内に入ります。城下県庁近くに坂の上の雲博物館があって寄ってみました。司馬遼太郎先生は四国につよい人でした。

安藤某氏設計のモダンな建物で、そういえば秋山兄弟も正岡子規も松山の人ですから県民の自慢博物館のようになっていました。とはいえ横須賀の戦艦三笠の迫力には及ばないかもしれません。

道後温泉は2度めでした。人数規制があったようですがすぐに入れました。建物全体が工事テントで覆われていて大修理が行われているようでした。

松山から海岸線を走り道の駅風早の郷ふわりにイン。ここは以前車泊したはずなのに記憶がうすいです。

須崎岬の手前の漁港

松山市内にはいります



坂の上の雲博物館のとなりのフランス風館萬翠荘


5月12日 金曜日

今治へ移動。

来島海峡を見下ろせるはずの大角海浜公園展望台まで行ってみましたが霧でなにもみえませんでした。


波止浜港桟橋でひとやすみ。一帯は造船ドックが集中するところで向かいに今治造船があって大きなコンテナ船を修理中のようです。ほかに檜垣造船というのもあって有名らしい。来島へわたるはしけ船もいました。


しまなみ海道の来島第一大橋が目前に見えるという来島海峡展望館にも行ってみました、橋を渡る車の音が聞こえるだけ、霧でなにも見えませんでした。


来島第一大橋をわたり大島に移動しました。しまなみ海道を俯瞰できる名所亀老山展望公園がありますが、この霧ではとあきらめて島の北側の村上海賊博物館を訪ねました。

海賊の本拠地だったという能島が目前で城跡も見えるようです。


再び今治市内にもどり今治城外観を撮影、天守のほか櫓や白壁があって写真写りのいい海城です。町外れにあるスーパー銭湯に寄りました。

高速道路に入り小松のハイウエイオアシス(石鎚道の駅と同じ。モンベルが入っている)で休憩。

村上海賊館から正面に能島

今治造船所。小舟は来島行乗り合い


翌朝、中山川渓谷など訪ねてから松山空港へ。走行距離は900kmほどでガソリンは50リッターも使わなかったようです。


帰り便はAirbusでした。松山を定時に出たのですが低空飛行で紀伊半島の南にでて伊豆半島をおおまわり(紀伊半島南での機長アナウンスで高度6000mとか)、房総半島に入りました。羽田の滑走路がすぐそこに見えるのですが、あんまり早く着くのはまずいのか埼玉県まで北上して東京都外周を反時計まわり、ようやく羽田におりました。けっきょく定刻に着きました。想像ですが時間調整なのかな。