7.17.2024

野毛大塚(世田谷)

 野毛町公園(のげまちこうえん)にあります

2024年7月17日訪問 伊藤記者

環八通りの脇にある(第三京浜入口のところ)こぢんまりした公園です。が、古墳は大きいです。

近所には、多摩川台公園などたくさんの古墳がありますがここは写真撮っても映えます。

ほかの古墳も同じですが多摩川がつくった国分寺崖線の台地にあります。

駐車場は20台くらい。30分100えんでした。

古墳登って、散歩して30分ですみました。

何度かきています。野球グラウンドやテニスコート、こども公園があります

環八ぞいには、この先、大きな砧公園、蘆花公園があります。ここは小さいけどなごみます

墓内はすっかり解明済、刀剣など多数




 

ウイキから

全長82メートル、直径66メートル、高さ11メートルの円墳に小さな前方部が付いた帆立貝式古墳(ほたてがいしきこふん)としては日本国内でも有数の規模を誇る。1897年明治30年)に発掘調査がおこなわれ、石棺が見つかった[1]。このときに見つかった多量の副葬品は、帝国博物館(後の東京国立博物館)に収蔵された[1]

墳丘では葺石埴輪を確認している[2]。周りに馬蹄形の溝(周壕)がめぐらされている[2]

また、後円部に埋葬用の棺が4基あり、その第1主体部は割竹型の木棺は長さ8.2メートル、幅0.8~0.6メートルの細長く、その中から短甲(たんこう)、冑(かぶと)、頸甲(あかべよろい)、肩甲、鉄剣、直刀19振り、鉄鏃25本以上、鉄製刀子、鉄鎌、銅鏡(内向花文鏡)、銅釧(どうくしろ)刀子・手斧などの石製模造品19点、竪櫛30点以上、玉類2000点以上、靫(ゆき)ないし矢筒などで出土した。

箱式石棺からは勾玉・管玉・臼玉・鉄刀・剣・甲冑片などの武器・武具、玉類などのほか、滑石によってつくられた多種多様で大量の器具類が副葬品として納められていることを確認した。滑石製模造器具は、石履、石の・坏・、233点におよぶ石製の刀子などである。刀子は14形式に分類されるなど、5世紀代古墳の示標となる考古資料となった[3]