4.01.2001

宝永山スキー2回

富士御殿場口、宝永山スキー
トレーニングになった
    
 
富士・宝永山スキー 
メンバー ひろゆき、おまた、なべ、きしゃ 

4月1日
 前日は春の大雪。小屋の前で20センチ。あたりは冬景色だ。せっかく畑を耕そうとしたのだ
 がプランをかえて、ひろゆき、おまたさんと裏山へクロカンツアーにでかけた。雪の中だから
 富士山は見えない、が腹ごなしになってお酒がうまい。
 夜中になべちゃんが来たようだ。 朝ご飯をたっぷりいただき、2台で御殿場口へ。8時半には
 歩き出した。きのうとはうってかわって好天気。富士山は真っ白だ。大きな高気圧に日本中お
 おわれているらしい。
 シャツ1枚でがんがん登る。なべちゃんなどは得意の股引スタイル。が宝永山に近づくにつれ
 て雪が固くなってきて、急に冷たい風が流れてきて冬装備になる。
 シールであえぎあえぎ直登して、昼過ぎに頂上に着く。おまたさんも相変わらず強い。60を
 越えているとはとても思えない。正月にニセコで敗退して以来の山スキーだという。
 宝永山の頂上にたつのは初めて、一応目標を達成したわけだ。大きな爆裂火口だったことがわかる。 
 12時半に滑り出した。見える範囲でスキヤーは10人もいないか。アイスバーン
から滑りやすい雪質に変わったかと思ったがすぐに最中雪に変わり修行となる。予想
していたように、昨日の新雪がやっかいな雪になってしまったようだ。 それでも二子
山の二つのピークの滑りは新雪がまだ柔らかく想像以上に快適だった。 
 終わりよければすべてよし、となべちゃんが言う。本人は上部でもなかなかよい滑りをして
 いたのだが。ひろゆきさんが、なべちゃんはうまくなったとしきりに感心していた。
 太郎坊の車には3時に戻った。 疲れたね、と残っていたお茶で乾杯。1200から2700ま
 で1500メートル登ったのだから疲れるわけだ。一日好天に恵まれて、富士山もずーっと顔を
 だしていた。おまたさんが最後の最後にブッシュで切り傷を作り、念のため吉田の病院に行く。
 それにしてもスノーモービルが我が物顔に二子山をはしり廻っているのには辟易しました。

 4月8日
メンバー とくち、かわさき、なべ、きしゃ
約束どおり8時になべちゃんがやってきた。昨日ほどの天気ではないがまずまず。どこへ
いこうか? と談合になるが、富士山北斜面の新ルート開拓がテーマではあったが事前調
査が不足ということで、結局、先週とおなじ御殿場口とする。
9時には歩き出していた。きょうはくろもお供についてくる。先週は新雪がやってきて全
山真っ白。その日は車わきからシールで歩き出したのだが、その雪がすべて融けてしまっ
て、今日はえんえんと草原と砂漠が続いている。それでも大石茶屋の上でスキーを履く。
双子山がガスのなかから現れ、そして宝永山、そしてついに富士本峰。ドラマッチクな登
場であった。
再びガスに包まれるころ、2時間ほど登ったときには宝永山中腹2000メートルに達し
ていた。南面のせいだろう、新雪と旧雪、砂地の地面がまじりあう不具合な斜面が続く。
このへんでいいね、と昼前にはモチが落ちた。
宝永山の斜面は最悪というべきスロープだったが、続く双子山の2つの斜面は最良の春ス
キーが楽しめた。くろも元気にスキーヤーの後を追いまわしているのが面白かった。
13時すぎには太郎坊トンネルわきの車に戻っていた。富士山が見えたのは30分ほど
か。暗くなるまでその姿を見ることはなかった。